「まことにあさましく恐ろしかりける所かな、とく夜の明よかし。往なん」と思ふに
からうじて夜明けたり。
うち見まはしたれば、ありし寺もなし。
はるばるとある野の来し方も見えず。
人の踏み分けたる道も見えず。
行くべき方もなければ、あさましと思ひてゐたる程に、
まれまれ馬に乗りたる人どもの、人あまた具して出で来たり。
いとうれしくて、「ここはいづくとか申し候ふと問へば、
「などかくは問い給ふぞ。肥前国ぞかし」といへば、
「あさましきわざかな」と思ひて、事のさま詳しくいへば、
この馬なる人も、「いと稀有の事かな。肥前国にとりてもこれは奥の郡なり。
これは御館へ参るなり」といへば、
修行者悦びて、「道も知り候はぬに、さらば道までも参らん」といひて
行きければ、これより京へ行くべき道など教へければ、舟尋ねて京へ上りにけり。
さて人どもに、「かかるあさましき事こそありしか。
津国の竜泉寺といふ寺に宿りたりしを、鬼どもの来て『所狭し』とて、
『新しき不動尊。しばし雨だりにおはしませ』といひて、
かき抱きて雨だれについ据ゆと思ひしに、肥前国の奥の郡にこそゐたりしか。
かかるあさましき事にこそあひたりしか」とぞ、京に来て語りけるとぞ。