今は昔、七月許に、大和國より多くの馬共瓜を負せ列ねて、
下衆共多く京へ上りけるに、宇治の北に、成らぬ柿の木と云ふ木有り、
其の木の下の木影に、此の下衆共皆留まり居て、瓜の籠共をも皆馬より下しなどして、
息み居て冷みける程に、私に此の下衆共の具したりける瓜共の有りけるを
、少々取り出でて切り食ひなどしけるに、其の邊に有りける者にや有らむ、
年極じく老いたる翁の、帷に中を結ひて、平足駄を履きて、杖を突きて出で來て、
此の瓜食ふ下衆共の傍に居て、力弱氣に扇打仕ひて、此の瓜食ふをまもらひ居たり。
暫く許護りて、翁の云はく、「其の瓜一つ我れに食はせ給へ。喉乾きて術無し」と。
瓜の下衆共の云はく、「此の瓜は皆己れ等が私物には非ず。
糸惜しさに一つをも進るべけれども、人の京に遣す物なれば、
否食ふまじきなり」と。翁の云はく、「情座さざりける主達かな。
年老いたる者をば『哀れ』と云ふこそ吉きことなれ。然はれ、何に得させ給ふ。
然らば翁、瓜を作りて食はむ」と云へば、
此の下衆共、戯言を云ふなめりと、可咲しと思ひて咲ひ合ひたるに、
翁、傍に木の端の有るを取りて、居たる傍の地を堀りつつ、畠の樣に成しつ。
其の後に此の下衆共、「何態を此れは爲るぞ」と見れば、
此の食ひ散らしたる瓜の核共を取り集めて、此の習したる地に植ゑつ。
其の後、程も無く、其の種、瓜にて二葉にて生ひ出でたり。
此の下衆共、此れを見て、奇異しと思ひて見る程、其の二葉の瓜、
只生ひに生ひて這ひ絡りぬ。只繁りに繁りて、花榮きて瓜成りぬ。
其の瓜、只大きに成りて、皆微妙き瓜に熟しぬ。
其の時に、此の下衆共此れを見て、「此れは神などにや有らむ」と恐ぢて思ふ程に、
翁、此の瓜を取りて食ひて、此の下衆共に云はく、
「主達の食はせざりつる瓜は、此く瓜作り出だして食ふ」と云ひて、
下衆共にも皆食はす。
瓜多かりければ、道行く者共をも呼びつつ食はすれば、喜びて食ひけり。
食ひ畢つれば、翁、「今は罷りなむ」と云ひて立ち去りぬ。行方を知らず。
其の後、下衆共、「馬に瓜を負せて行かむ」とて見るに、
籠は有りて、其の内の瓜一つも無し。
其の時に、下衆共手を打ちて奇異しがること限無し。
「早う、翁の籠の瓜を取り出だしけるを、
我れ等が目を暗まして見せざりけるなりけり」と知りて、
嫉がりけれども、翁行きけむ方を知らずして、更に甲斐無くて、
皆大和に返りてけり。道行きける者共、此れを見て、且は奇しみ、且は咲ひけり。
下衆共、瓜を惜しまずして、二つ三つにても翁に食はせたらましかば、
皆は取られざらまし。惜しみけるを翁も みて、此くもしたるなめり。
亦、變化の者などにてもや有りけむ。
其の後、其の翁を遂に誰人と知らで止みにけりとなむ、語り傳へたるとなり。