負傷女児、ショックで口数少なく ヘリ墜落、震える住民
朝日新聞デジタル 2018年2月5日 22時38分
http://news.livedoor.com/article/detail/14260391/

漏れの世代だと、横浜米軍機墜落事件(1977年9月27日)を連想するのは多そう

1962年3月17日
築城基地から入間基地に向かっていた4機編隊が富士山山頂上空で猛烈な晴天乱気流に遭遇。急減速した衝撃のため、2機の燃料パイプが破損、エンジンの
再始動が不可能になった。そのため、2機の操縦士は機体の放棄を決定。被害が出ないところまで誘導したうえで操縦士が脱出することにした。1機は小田原郊
外の石垣山の山林に墜落した。もう1機は海まで誘導したうえで脱出したが、その後機体が運悪く大きく旋回して陸地に戻り、国鉄東海道本線の国府津駅近くの
住宅地に墜落。民家など5棟を破壊し線路に残骸が散らばったが人的被害は出なかった。これ以後、富士山上空の山岳波の存在が注目されることになった。

1962年9月3日
手術に必要な血液を空中投下するため災害派遣された鹿屋基地所属のP2V対潜哨戒機が、空中投下のため低空飛行中に奄美市名瀬の蘭館山に衝突、乗員
12名と地元住民1名の13名が死亡した災害派遣史上最悪の事故。現在までの災害派遣での殉職者のうち、およそ1/4がこの事故による。

1969年2月8日
第6航空団第205飛行隊所属のF-104J 戦闘機が落雷の直撃を受け金沢市の市街地に墜落。パイロットは脱出して無事だったが地上の住民が犠牲になった。

1982年11月14日
航空自衛隊浜松基地の航空祭で曲技飛行中のブルーインパルスが「下向き空中開花」を演技中、編隊長の指示が遅れたため4番機の機首上げが間に合わず
基地近くの駐車場に墜落。

--------------
裏を返せば、これだけの長期間、住民の負傷者や住宅火災がでなかったんだよね〜

自衛隊びいきだからこそ、問題だと思ってるさ