>>840
32年テーゼに、日本資本主義論争における講座派の見解が反映されているのは事実だが、
それは32年テーゼ策定の前に野坂参三が訪ソしており、
日本在住時には野呂栄太郎と同じ職場でもあり、
野坂がモスクワまで野呂など講座派の見解を持っていき、
クーシネンなどコミンテルン役員に主張したと考えられる。
それが32年テーゼに反映されることとなった。あくまで日本共産党綱領の決定権はソ連共産党・スターリンがもっていた。
より重大な問題は、日本共産党の綱領32年テーゼにはスターリンが発案した社会ファシズム論が含まれ、戦前の党員がそれを実践したことだ。