>>849
スターリンも、ソ連共産党も、コミンテルンも、戦前の日本社会への認識は十分ではなかった。だから野坂が野呂の見解をコミンテルンに主張すれば採用される余地があった。講座派理論が32年テーゼに反映されることとなった。

しかし、同時にスターリンが発案をし、コミンテルンが全面採用した社会ファシズム論は日本の見解が入る余地なく、コミンテルン32年テーゼに入り、日本共産党もそれを全面実践するにいたった。

社会ファシズム論は、特にドイツでは、ドイツ共産党がその理論を全面採用して社会民主党と全面対決をして、ナチスの政権獲得を許し、世界戦争につながるという、歴史的誤りは今日明白だ。