実際にやっていることは保守という概念の破壊

岡潔が哲学者としての薫陶を受けるのは、戦後、仏教に一時期帰依していた時期だ。
ところが「折伏」に代表される仏教の「知」一辺倒に反発。

「春雨の曲」を執筆する前は、大脳生理を絡めた法学についても発言し、憲法に師事しないように主張している。
「それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。『いざ革命』といえば良い、標語になってる。
『共産主義革命』とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、『いざ革命!』といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、
側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、
『アッ!』という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない」

「非常に信奉する人の云っていることは信じざるを得んから信じているけれども、そのままにしておかない。
自分の真情の目で確認する。
自分の目が見えるようになるまでは仕方がないから信じる。
しかし自分で腑に落ちるところまでやらないことには、
決して他人の云うことを鵜呑みにはしません」
「私は真実でないものには、何の価値も認めません」

岡潔が生前語った言葉である。
岡潔は春雨の曲で、豊受大神から月読に代えて外宮に祭祀しなければならないと言う。
なぜなら、天照と月読が日本史の始まりであり、男系男子を切れない理由そのものだからだ。
まさしく男系カルトであろう。

岡潔は保守という概念の破壊者にすぎない。

私が調べれば悲しむだけだ。

―[連載「ニュースディープスロート」<文/古谷経衡>]―

【古谷経衡】
ふるや・つねひら。’82年、北海道生まれ。
若者論、社会、政治、サブカルチャーなど幅広いテーマで執筆活動を行う一方、
テレビ、ラジオでコメンテーターも担当。『愛国商売』(小学館)が発売中