枝野は立憲を結党した時から
永田町の数合わせの動きや論理にはくみしないと見得を切っていた。
それがなぜ突如合流にうごきだしたか?

答えは一つしかない。
喉から手が出るほど選挙資金が欲しかったという事だ。
枝野が政策でも党名でもいっさい玉木に譲らなかったのは、
数合わせの論理だという批判を受けるのが、我慢ならなかったからだろう。