>>669
・山田遼一は、バレーボールに長けて、還暦過ぎても、スパイクを決めておられた。
 弟子は、佐野、青木、木棚の3人だけ。優秀な息子さんがおられた(旭丘→東大)が、
 学者にはなられず、東京海上の幹部社員。
・団藤門下の平川宗信は、定年前に、退官して中京へ。お弟子は、いないようね。
 秋から冬にかけて、シャーロックホームズの帽子を装用してるから、すぐわかる。
・伊藤研佑は、慶應のLSへ移籍。
・今は東大にいる大澤裕も名古屋にいたことがあり、住居が平川と同じ町内だったはず。
・名大法学部で助手を2,3年務めた後、名大に残れなかった場合、私立に奉職するのが
 通例であったが、私学にポストがない場合、中京法律学校の教員になるか、看護学校の
 非常勤講師をしながら私学のポストがあくのを待つしかなかった。
・室井力は、旧六高の1修か2修で新制岡山大学に入り、初代法学部長の渡辺宗太郎に
 に目をかけてもらって、京大院へ進み、その後、岡山に帰ってきた、異色だったね。
 気象台近くのプチ高級住宅街に家を構えていたとのこと。