多田野数人、ドラフト1位の肖像#1――憧れだった六大学野球と、人生が激変した大学4年秋
7/13(木) 10:00配信
ベースボールチャンネル

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。
華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。
その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

■まず相撲で才能開花

多田野数人は中学生だった春の日のことを今でもよく覚えている。

その日、地元の中学校の野球部に入っていた多田野は、神宮球場の第二球場で行われていた高校野球の春季大会を観に来ていた。
試合が終わり、神宮球場の前を通ると、かすかに歓声が聞こえた。
こちらでも試合をやっているのだと、多田野は引き寄せられるように、切符を買って球場に入った。
中では東京六大学の春季リーグの試合が行われていた。そのとき、多田野の心が強く揺さぶられたという。

多田野はこう振り返る。
「法政(大学)とどっかの試合をやっていました。で、中学生ながら、ここでやりたいと思ったんです」

それまで年に1回程度、後楽園球場、東京ドームで読売ジャイアンツの試合を観たことがあった。
しかし、こんな風な感覚になったのは始めてだった。
多田野は1980年4月、東京の墨田区押上で生まれた。野球を始めたのは小学1年生のときだった。
二つ上の兄が入っていた少年野球チームに入ったのだ。ポジションは投手と遊撃手だった。