ミスターシービーっどれくらいすごかったの?
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トウショウボーイとシービークインが新馬戦が同じだっけか
当時を知らないからこんなネタがデビュー前に話題になってたのかシービーが活躍したから持ち出されたのかわからないけど >>82
グリーングラスもデビュー戦が一緒だし
のちに活躍した馬が複数出ていた新馬戦として有名だったんでないのかな >>73
展開次第で入れ替わるのは同意出来るが同格は無い
実際に残した結果が違い過ぎる トウショウボーイが軽種馬協会の買い上げじゃなく、もっと繁殖の質に恵まれてたら
いまでもトウショウボーイ系が確立してたかもしれんなぁ シービーは19歳で蹄葉炎でわりと早くに
亡くなったけど、蹄の弱いのが関係あったのかな 着差つけて勝: ミスターシービー、ナリタブライアン、ディープインパクト
ゴール前きっちり(好位差)勝:シンザン、シンボリルドルフ
オルフェはその中間くらいか
>>22
ディープがシービーやっちゃったんだよ。
菊花賞の時は折り合いで苦しんでいたからね。
>>86
トウショウボーイの特に牡駒には高値がついたけど
結局GT勝った馬は母方に活躍馬がいたからね。
シービークインは本来種付けできなかった(千明牧場が組合員でなかったから)のだが
いい繁殖が来ていないので現場の判断で付けてしまったらしい。 >>1
いやいやいやいや、そりゃあキミ、当時は凄いものだったよ・・W
簡単に説明させてもらうけど、
もともとはイギリスの民放テレビにおいて連続番組のコメディードラマとして放送されていたわけね
そんで1990年に日本のNHKがその番組を始めて日本で放送したわけよ
最初はあまり反響的にはパッとしなかったんだけど、番組を重ねるにつれてあまりにもコメディーとしてのクオリティが高くて
面白おかしいものだから、序じょにマニアの間で人気が浸透していって、最終的には日本国内で大ブレークしたわけね
何つっても、あの主役のローワン・アトキンソンね
あんな面白くて滑稽なハマリ役ってそうはいないよね?
俺もその後番組を毎回ビデオ録画して何度も何度も見ていたけどね・・ >>83
アンライ、リーチ、ブエナ、スリーロの新馬みたいだな。 元祖伝説の新馬戦
テンポイントの鹿戸明も居たんだぞ
トウショウボーイ
シービークイン
グリーングラス
鹿戸明 40歳の頃か、非常に懐かしい。シンボリルドルフの方が強かったが、魅力があるのはミスターシービーだろう。 ハイセイコーとオグリキャップの間の時代では一番人気があった馬かもね
個人的にはミスターシービーから競馬業界、および競馬場の雰囲気がはっきり変わった気がする
TTGの頃でもまだそこまで一般化してなかったと思うし
そしてオグリキャップと武豊でまたさらに一般化、現代化する、と 三大ミスターは
長嶋
ポポ
味ッ子
だからシービーはその次 ミスターはサッカー部の美先輩のかんじ
ルドルフはクールな大人のイケメンのかんじ 菊花賞で、タブーは人が作るものにすぎないと言わしめた馬だからな
ゆっくり登ってゆっくり下るが常識だったのに掟破りの逆サソリばりだよ >>102
あと水曜どうでしょうの鈴井さんも追加
グリーングラスからミスターシービーまでの年度代表馬なんてほとんど語られていない馬ばかり。 >>102
ミスターポポよりもミスターサタンの方が有名じゃね? 岡部がミスターシービーしちゃったと言うくらいすごい 19年ぶりの三冠馬だったから競馬の枠内では騒がれたけど
ハイセイコーやオグリみたいに一般人まで巻き込むことはなかったな
戦法が極端だから大衆人気出る要素はあったのにな
寡黙な吉永正人が地味過ぎたのかね あとルドルフとの三冠馬対決で完敗したのがこの馬の株を大きく下げた 一般人だったけどミスターシービーから競馬に興味持ったわ
JC三冠馬対決騒がれてた時NHKの子ども向けニュースで知った
子どもだからルドルフの名前難しいと思ったなあ
より名前が覚えやすくて見た目格好いいシービー応援してた >>109
ハイセイコーやオグリは地方出身が
中央のエリートを倒すっていう(当時の)日本人がいかにも好きなシチュエーションだったからだろ 親父がボーイだしやっぱベストは中距離だったろう
府中二千でルドルフとの対戦みたかった >>98
俺が35歳のときシービーがダービー馬になったから、5歳くらい先輩ですねw なんで吉永正人は吉永みち子と離婚したんかな、別れても吉永の姓を使ってるのは芸名としてか 初めて馬のアンチになったのがルドルフだった
憎くて憎くて仕方なく、走るごとに骨折・予後不良を願った
馬刺しを食べるときは「お前はルドルフだ!お前はルドルフだ!お前は生きてちゃいけない
死ね!死んで肉になれーー!!」と呪いをかけながら食べた
ルドルフさえ死ねば
いや、ルドルフさえ生まれなければ
自分にあれほど畜生ごときを憎む感情が生まれるとは不思議だった >>90
ヤマニングローバルもメイショウビトリアも距離長いとこで勝ってたな >>8
カツラギ→シービーの毎日王冠のシービーの33秒台の末脚を絶賛する人が多い中、
大川さんだけ冷静に、ダスゲニーも33秒台で上がってるレースだしそれほどでもない、
みたいな感じの厳しい事言ってたかな
あと、その毎日王冠の頃に東京競馬場にオーロラビジョンができて、
普通のニュース番組でも取り上げられてたのを思い出す
シービーの引退式ではすごくキレイな女性が号泣してたけど、
後から聞いた話によるとその女性は鈴木淑子さんだったみたい
今からは想像できないかもしれないけど、淑子さんは当時はかなりキレイだった あの時代の上がり33秒台って誰も見たことがない上がりタイム
今だったら31秒台の上がり時計みたいな感じ
丸一年レースを経験していない馬が、古馬一線級でイキナリ異次元の時計で走った感じかな
府中の1800や2000くらいだったら、あのトウショウボーイと同じ
どんな状態でも馬券になる馬って感じ 子供から大人までみんな好きだった
シービーブームになった エレファントカシマシの宮本が競馬興味ないのにミスターシービーのファンだから馬券めっちゃ買って帰りの電車賃無くなった話好き >>121
天才少女ダスゲニーをDISるとは、大川、許すまじ。 春天で三冠馬対決が見れたなんて凄いねえ
動画で見れるけど生で見れた人が羨ましい >>111
そうか、ミスターシービーって子供にも人気あったのね
自分は当時工房だったが小遣いで買った優駿とか週刊競馬ブックとかを教室に持ち込んで
布教活動に励んだけどさっぱりだったからなあ ダービーでもの凄い斜行してんだよな
吉永正人も騎乗停止でダービーの副賞貰えないくらいだったし今の5chがあったらずっと叩かれてそう シービーは好きだが吉永は嫌いだった
当時はGTぐらいしか見ない買わないニワカだったから
三冠馬にはさぞ名手が乗っているんだろうな〜と
なんとなく思ってたら、名手でも名人でもない
シービーに相応しくない平凡な騎手だった
戦法についても(いくらなんでも後ろから行きすぎだろう・・・)といつも疑念が
その割に完全に勝負にならないままだったのはJCだけという
追い込み馬にしては恐るべき安定感
ラストの天皇賞みたいな競馬するなら、また逃げてみればいいのにとも思ったり ものすごい末脚で追い込みイメージを印象付けてるけど
実際は「まくり」だよな 当時は捲りなどという下品な競輪用語は使わなかった
チョイ差しなんかも、なんで使うようになったのか不思議だ シービーは吉永の馬。
テイオーは安田の馬。
サニーは大西の馬。
みんな了解してたよ 毎日王冠で復帰戦やったときにみにいったんだが
当時の競馬場は親父しかいなかったのにみんなシービーシービー叫んでたわ
人気あったんだな >>130
ていうか大橋巨泉と野平祐二が、人気取りにおもねってあれを失格にしなかったのは競馬史の汚点だみたいな話したと
巨泉の本に書いてあった 内国産種牡馬がゴミに等しい時代にかつて一世を風靡した馬からの三冠馬だからな 菊花賞で向こう流しで掛かって脚を使って勝ったシービー
菊花賞で首を上げて掛かり巻くって勝ったディープ
三冠馬が普通じゃないって思わせる戦いぶりだったよ その2頭もそうだし、ルドルフ、ナリブ、オルフェもそうだけど、三冠馬はたしかに怪物的要素があるね
エアシャカールがアグネスフライトにハナ差負けたのは歴史の必然なんだろうなw 三冠馬が弱い世代に生まれるって聞いたが、シービーの世代は菊花賞で負かしたリードホーユーが
簡単に有馬記念を勝ったし、シンブラウンは3000の日本記録で優勝した
ルドルフ世代より強かったんだよな、この世代って 83世代は文句なしに強い世代なんだけど有力馬がみんな晩成型だったから三冠獲れたんだと思う ヤマニングローバルもったいねえ
武がG1四つ損したって言ったんだろ >>145
国内でルドルフを負かしたカツラギもギャロップもこの世代
ルドルフが1年早く生まれてたら3冠はなかったかもしれない
いやあったかもしれないが、無敗でってのは無理だったかもなw >>147
アイネスフウジンやメジロマックイーンに勝てたかな? 路線は違ったが大マイラーのニホンピロウイナーもいたな>シービー世代
メジロモンスニーやスズカコバンも古馬になってから重賞勝ってたし ミスターシービーの何がすごいって、シンボリルドルフより弱いのに、ルドルフよりファンが多かったことだろ。 代表産駒が地味なステイヤーばかりなのは何故なんだろ? 確か三冠全部、吉永は過怠金取られたんじゃなかったかな
特にダービーの4角は、郷原が落馬寸前まで弾き飛ばされてたに メジロモンスニーも久々の高松宮を簡単に勝ってた記憶がある
この世代は強かったよ メジロモンスニーも生まれた時代が悪かったが、ビゼンニシキもな
ビゼンニシキはダイタクヘリオス-ダイタクヤマトと繋げたけど、これも切れちゃった >>148
お前bの足りない頭では何に負けることになってんの?w ニホンピロウイナー、カツラギエースいたからな
レベル高い
ニホンピロウイナーはG1も完勝で凄いんだが、その前も凄い
旧4歳6月で59キロで勝ったりその後も58.5や60背負って買っちゃうところ
馬場が渋るとダメだったけどな ニシノライデン、スズパレード、スズマッハも地味に強かったよ。
ビゼンも無事だったならニホンピロの良きライバルになりえた。 ミスターシービー世代の逃げ馬シンブラウン
屋根は岩元さん ウメノシンオーとカツラギエースに負けなかったら無敗の三冠馬
秋天のカツラギは大人の事情で負けたので四冠馬とは言われないね 今の感覚からいくと、古馬になって2400m未満で勝ってないシンボリルドルフって物足りない面もあるね >>152
シービーは外見からして
父トウショウボーイよりもステイヤーの母父トピオの色が濃い
種牡馬としてはより顕著に現れている 80年代中盤にトウショウボーイやパーソロン、シンザンみたいな
当時の世界の競馬の潮流からかけ離れた血統馬がクラシックを勝ってることを
文句言ってた人間っていたのだろうか、スゲーいそうな感じがするんだけれども 見てないからニワカ意見かもしれないが、ここに書かれているようなこと総合してJRAが人気とりの為、そんたくの末作られた三冠馬って呼ばれてるイメージが強いんだよな〜。
事実かどうかは別にしてね。 ミスターシービーの菊花賞って自身の上がり3f38.2だからな
超消耗戦に巻き込んで勝った
こんな走りしてればピーク短くて当然よ 堂々としたトウショウボーイの馬体と比べるとシービーは華奢な馬体をしていた
ただ細身で前脚が長いのでステイヤー寄りの馬体であったともいえる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています