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日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年 (明治41年)に馬券の発売が禁止されると馬産地は空前の大不況に見舞われた。
大正時代中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスのクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」
という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、本競争の創立を提案した。