ナリタタイシンについて知ってること
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>>4
確かネーハイシーザーも一緒に心房細動おこしてなかった? 菊花賞で終わったと思ったけど
目黒記念であっさり復活してびびった 今時なら菊花賞じゃなくて毎日王冠→天皇賞→香港C路線だっただろう。
ダービー負けた以上は菊花賞にこだわる必要なし。
皐月賞以外ではあの脚が見れらなかったのは残念。
今気づいたんだが、タイシンも高松宮杯に出てたんだな。当時は距離2000mだったが。
何でタイシンにケチのついたのと同じ名前のレースにブライアンも出そうとしたのか? >>7
ある調教師が、その騎手が乗ると馬が変わるとか言われた伝説の騎手
レースで調教してたかは知らんけどw おそらく走れない状態で菊花賞に使い大敗
ヤバいとレース前から言われてたし、某大川競馬評論家が怒ってた 皐月賞で勝っちゃったせいで、以後の皐月賞の武の乗り方はずっとこれ
アドマイヤオーラの問題もナリタタイシンに乗ってなければ起こることもなかった 半姉に父親が激シブのユーセイフェアリー(重賞1勝2着2回) >>20
当時の追い切り見てたけどハナっからバタバタ過ぎてとても出走できるような状態じゃなかった
ファンが要るんだから出走したらしたで人気になってしまうのは誰でも解るはず
可哀想だったなぁ…… >>20
O川はO久保が大嫌い
ブライアンのときもボロクソ言ってた 皐月賞で岸の無念を晴らさんとばかりの末脚
あれは鞍上の気持ちが乗ってた >>30
確か3〜4番人気だったかな
馬券は買わなかったが、あ〜やっぱりかと可哀想になった シルクで産駒が募集されていたが、やたら人気していた 弥生賞でウイニングチケットに完敗だったのに本番で逆転したのはすごい >>37
タイシンが肺出血でネーハイが心房細動だったはず
タイシンが3F40秒超、ネーハイは3Fを1分以上かけて歩いて帰ってきたんだっけ
ネーハイはあれから追い切りは毎回心電図取りながらやってたな 田んぼ馬場のシンザン記念をものすごい勢いで上がって来たのは覚えてる リヴリアって本当に何だったんだろうな
ナリタタイシン
ワコーチカコ
ビコーアルファー
とにかく切れる馬たち タイシン受け入れたとこにナリブ入れる条件のせいで
CBスタッドに入れてもらえなかったのがビワ ネヴァーベンド→リヴァーマン→リヴリア
佐々木主浩の系譜 >>20
思い出したわ・・・そんなこと言ってたな
因果関係は無いかもしれないが、そらブライアンも腸捻転起こして早逝しますわ
って言いたくもなるわ >>6
あれ、そうだったか?
ネーハイ・・・お前というやつは ナルタタイシンだっけか
すごい勢いで馬群もこじ開けて飛んでくる印象 ディープインパクトに最も近い馬。
能力とかフォームとか。 宝塚で帰ってきた時は嬉かったが、内容は寂しかったなぁ 菊花賞でブービーになったが、休養明けの春天のステップレースの目黒記念でトップハンデ背負って追い込みで勝った
めっちゃ、かっこ良かった >>60
キズナとディープインパクトの間くらいな印象 杉本清が菊花賞で「今回はダメだろう」と思ってナリタタイシンを適当に実況したら
ファンの人から「もうちょっと注目してほしかった」と嘆きの手紙が届いたそうだ 単なる皐月賞馬ではなかったはず。春天のまくり見れば相当な実力馬だと分かる。 ダビスタ3でナルタタイシンは右3つ全部コウカイテイオーより印が厚い(1番左は人気という能力とは全く関係ない印) 皐月賞の実況の人が
「ヌァリタタイシンが差し切った!!!」って感情がこもっててよかった >>25
ナリタブライアンの天皇賞秋もそんな感じだったな そういえばタイシンの最後の宝塚は武が東京に乗りに行ってたから山田泰誠だったんだよな 外国から持ち込んだリヴリアだったかな
日本の競馬、血統が変わろうとしていた時代 まだ競馬に詳しくない時代(学生時代)馬好きな友達と北海道に牧場巡りしたとき最初に見た馬がナリタタイシンだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています