0275マンセー名無しさん
2019/03/11(月) 19:49:55.07ID:QJT7Z8kV歯科医さんのところから、韓国の言う道徳ってこういうことでしょ
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東北大震災、8年目の日です。まず、被災者の方々の安寧をお祈りします。
「恥韓論」からの読者の方々ならご存知でしょうけど、この日は私の「反日とは何か」な
考えに大きな影響を及ぼした日でもあります。「相手を憎め」という教育がどれだけ人をダメにするのか。
いまでも、考えるだけで背筋が凍る気持ちです。
今日は、韓国経済の青少年記者(本物の記者ではありません)、女子高生(高校3年生)
の書いた短い記事を1つ紹介します。
記事は、「交流学生制度」で日本に行って、日本で感じたことを書いたものです。
学生さんは、「私たちは歴史問題で日本に悪い感情を持っている」「日本に行く前には、
私も大勢の他の人たちと同じく、放射能が心配で、日本人が韓国人をバカにするだろうと思った」
としながら、それは勘違いだったと、日本人はずっと親切で、日本は生活規範のしっかりした
国だったと書いています。
ですが、妙なことがあります。起承転結をちょっと見てみます。
この記事の場合、「起」が「私は他の人たちと同じく日本に悪い感情を持っていた」で、
「承」か「転」あたりが「しかし、それは誤解だった」になって、そこから日本で感じたこと、
経験したことなどをいくつか書いて、「結」論に向かうのが一般的だと思われます。
実際、「日本の学校は全員が制服をちゃんと着ていた」など、面白いこともいくつか書いてあります。
ですが、実際の構成は、こうなっています。
起「私は〜持っていた」、承「誤解だった」、転「学ぶところがいっぱいあった」、
結「学ぶところがいっぱいあったけど、日本は過去史を韓国に丁重に謝ってほしい」。
自分の目で見てよかったことを、素直に褒められない。まるで「日東壮遊歌」を読んでいるようです。
なぜこうなるのでしょうか。それは、反日は結論そのもの。起承転がどうであれ、結は決まっているからです。