中山英一
1949年から1974年まで部落解放全国委員会(のち部落解放同盟)長野県連書記長を務める。
そのほか長野県同和教育推進協議会事務局長、同顧問、全国同和教育研究協議会常任委員
などを歴任。
また1950年代から1974年まで部落解放同盟中央委員のほか、関東ブロック事務局長を務めた。
早稲田大学や信州大学などで同和問題について特別講義を行う。
1973年には朝日新聞長野支局の若宮啓文記者を長野県内の被差別部落に案内し『ルポ・現代の
被差別部落』の執筆を支えた。書記長退任後は、長野県同和教育推進協議会長に就任。
人権センターながの代表理事。

著書[編集]
『被差別部落の暮らしから』(朝日選書)
『人間の誇りうるとき』(解放出版社)
『私を変えた源流』(日本同和新報社)

江戸時代には士農工商の下に穢多・非人(えたひにん)という階級がありました。
穢多・非人(えたひにん)は、死体の処理や皮革の処理等をしていた人達です。
また、穢多や非人の階級では、一定の地域しか住めずその地域から出ることも許されていません
でした。そうした被差別地域を、当時は被差別部落民といい、略して部落民と呼びました。
被差別部落に住む人たちは職業も限られていました。一般の人が忌み嫌うような仕事である、
と殺や肉を扱う仕事、皮革の仕事などでした。地域によっては竹細工を仕事にしているところも
ありました。
また、古くは処刑上の死刑執行補助役などを仕事にしていました。
現在でも、廃棄処理やゴミ収集、し尿処理といった人が嫌がる仕事をしている人も多いといいます。

大阪の吹田市の被差別苗字には、「尾崎、川端、小西、高嶋、高田、原田、山尾」があり、
池田市には「谷畑、辻、西本、南、森」、高槻市には「大木、大倉、岡本、岡山、長村、数村、
河内、」があります。

被差別地域に住む人達は、色々な差別を受けています。生活する上で深刻な差別もあります。