80年初頭からアメリカは巨額の対日貿易により反日感情が高まったことで日本を叩く「ジャパンバッシング」が吹き荒れる。
日本人を「エコノミックアニマル」などと揶揄するなど、世界を席巻する日本経済に対するヘイトが欧米では止まらなかったのだ。
アメリカはその巨額の対日貿易赤字解消目的で円高ドル安に誘導するために
アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フランスの先進5か国によるドル安路線を合意させる(のちのプラザ合意)策略を練っていた。

ところがそうなれば日本は強烈な円高に襲われることがわかっていたために、先進5か国によるドル安路線合意を日本は拒否し続けていた。
そこでアメリカが取った策は軍事的に脅しをかけてドル安路線を日本に強制的に合意させることであった。
それが日本航空123便撃墜事件だったわけである。


■1985年8月12日 日本航空123便撃墜事件

     ↓3日後  

■1985年8月15日 中曽根総理大臣が戦後の首相としては初めて靖国神社に公式参拝
(日航機撃墜の3日後、恐らく撃墜事件を隠蔽する代わりに戦後初の首相の靖国参拝をアメリカは中曽根に認めたのだろう。もちろん撃墜事件から目を逸らす目的もあった)
     
     ↓日本航空123便撃墜事件の21日後

■1985年9月2日 プラザ合意締結。これによって1ドル250円前後が1年後にはほぼ半額の150円前後に下落。
日本政府は円高不況対策として公定歩合引き下げを実行したことで名目金利が低下し、その結果不動産や株式への過剰な投機を促して日本経済はバブル経済化。
また日本の大企業の多くが円高対策として工場を海外に移転する産業空洞化が加速した。
   
ジャパンバッシング
http://manabukeizai●.blog.fc2.com/blog-entry-1356.html

日本車を壊すアメリカの労働者 『日米貿易摩擦』
https://www.youtube●.com/watch?v=MsXjGBQX8Ks
日本車をディスった海外でのCM
https://www.youtube●.com/watch?v=LPRpkWUzErA
ジャパンバッシング for PC-9801 (1992)
https://www.youtube●.com/watch?v=Zdxeh1x6wu4