貞次は子供の頃から異常性欲者で、近所の風呂場や寝室の覗きや下着の窃盗を繰り返していた。AさんがA子さんと結婚した当初は、実家で同居していたが、やがて貞次とA子さんは肉体関係を持った。
これがきっかけでAさんは実家を出て近所に建売住宅を購入した経緯があった。

逮捕された貞次は、警察の取り調べで「出所後、川崎市で日雇い仕事をしていた。兄嫁とセックスしたくなり6月、7月と兄嫁宅を訪問した。だが、断られた為、隣家の塀から兄夫婦の行為を見ながら自慰したが、
そのうち殺してでもセックスをしたくなり殺害を計画した」と供述した。

犯行日の8月8日深夜、貞次は実家にあった薪割を持参しAさん宅に忍び込んだ。貞次は就寝中の4人を次々に薪割りで殺害し、瀕死のA子さんを弄んだ。その間、Aさんや子供達がうめき声をあげるので、
時々、行為を中断し、薪割りを振るって沈黙させた。

1971年12月の精神鑑定では「被告人は意志薄弱性、無情性の精神病質であり、同時に窃視症、フェチシズム、カニバリズム(女性の肉を食べる)等の性的錯倒を有している」と診断された。

貞次は公判でも「一番残念だったのは、兄嫁の肉を食えなかったこと」と陳述。さらに別の女性にも同様の犯行を計画中だったことが判明したため、裁判官は、
もはや改善の余地無しと断じて1972年12月、死刑判決を言い渡した。貞次は控訴せず死刑が確定。1976年4月に死刑執行。