ユダヤ教のサタンの正体とは
ローマ神話のサターンのなんでしょうか?
語源が似ているだけなんですが こういう妄想に「来世」って出てくるためしないよな
宗教の話なのに しかし神は何故サタンにのみ自由意志を与えたのだろうか
つまり霊的存在のうちで、サタン以外に自由意志を加えられた存在がない? サタンは過去を知ることはできるが未来を知ることはできない
サタンが人を迷わせるのは常に過去にあったやり口でのみ行う
人が偶像に祈るのを見れば、同じ方法で人を操ろうと考える
サタンは学ぶ、知る、覚える・・・・ そして「忘れる」 神学論争でよくあげられる話だな
ここの解釈でよく異端が生じるのは ユダヤはキリスト教の論争みたいなことはしないからね
聖書知識や口伝律法のひっぱりだしあい ヘブル語本来では定冠詞「ハ」のついたハ・サタン
これが敵対者、障害となるものの意としてのサタン
単なる機能的存在で悪の根源などという意味は持ってない
要は固有名詞じゃない
旧約聖書の翻訳はヘブル語→ギリシア語とヘブル語→ラテン語という
2ルートがあるが前者はヘブル語の事情を知った者が行っていて
後者はヘブル語の事情を知らない者が行ったために色々と誤訳がある
分かり易い例としては「IeHoVaH・エホバ」なる神名がそれだな
これはYHVHがYahowahと表記され、それはYHVHは「Adonay(アドナイ・我が主)」と
読み替えるべしという付言であるのだが、事情を知らぬままにIeHoVaHと訳してしまい
エホバと読んでしまった
ギリシア語聖書だとこれは「キュリオス(主)」の一語で片付けられてる 宗派によっては考え方が違う部分だな
福音派は固有存在と解釈してるが、概ねは「敵対者」の意だとする
つまりは個体を指していない
聖書は翻訳時に失われたニュアンスや元の意味のぼやけてしまった部分も多く
その辺に留意して調べると色々と見えてきて楽しくはある
赤い土の塵(アダマー)から造られしゆえにアダム(人間の意)と呼ばれた最初の者
る善悪を知る樹の実を奸計をもって食させたのはナカシュ(蛇の一種)で蛇でもサタンでもない
ユダヤ古代詩には、このナカシュについて興味深い記述がある
執筆者はフラウィウス・ヨセフスといって、これまた興味深い人物だが
概略を延べるとユダヤ人であり、ローマへの叛徒であり、後にローマ執政官の幕僚となった人物
ユダヤ古代詩は彼の晩年の大著であり天地創造からユダヤ戦争前夜までを記した
そこにはナキシュは手足を持ち人語を操る生き物として出てきており
破戒の原因となった咎ゆえに神により手足と言葉を奪われ地を這うものとされたとある クルアーンにも書かれてるように
聖書は成分律法と口伝に分かれてる ユダヤラビがその蛇をサタンだと言ってればその通りサタンでしかない、と考えよ 悪魔崇拝ってアルファベットだとサタン崇拝、サタニズムのこと。
サタンという言葉は、サンスクリット語では真実という単語。名残がインドのサティア、これも真実という意味。
ヘブライ語では、「敵・宿敵」を表す言葉。
要するに、湯人からしたら「敵・宿敵」という意味がサタン。
https://twitter.com/Mrx108to666/status/1258599113144168450
デーモンは、デミ・神の意味に近い。
人間から神になった、神に近づいた者をさすのがデミ・神。
古代デーモンというのは神々を表す言葉。
これがワンピースで有名になったDの意思の意味。
神々の意思を受け継ぐ者。それが主人公たちなわけだ。
故に人類は総てDの意思を発動させ、デーモンにならなければいけない。
理不尽な搾取野郎に従順になびいておこぼれを貰い、生きながらえるマインドから、同調圧力などクソくらえ!1人でも戦うぞ!と決めると、
Dの遺伝子が働き出す。だから、覚醒のキーワードは勇気だ。
愛を遂行するには戦う勇気が必要なはずで、皆それから逃げる。これは愛ではなく逃げで、偽善で最も腐ったもの。似ているようでよく考えると
正反対なんだ!戦うぞ!勇気だ!社会から抹殺され、一人になるが知るか!自身の尊厳を奴隷にし、人々を殺す輩へのこの怒りは止められない。
となると、
神々の意思と同じ方向なので、シンクロしだす。
神々の指導がいつの間にか来ていて、真実がわかるように誘導されている。わしの場合は、ぼーとして検索しているようでキーワードのその単語は、神々から仕組まれている!(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) だから敵の宗教は「戦う」という選択を外そうとさせ、それに「愛」を使う。
幸せは勝ち取るしか無いんだ。宇宙は強者が活用にできているから。
そして勝ち取れる力を、真の神サタンは与えた。
既に与えているのに、ちっとも使ってくれない。
もちろん、湯人が忘れるように仕向けた。
反湯の作者はサタン。
反湯の者は、既にサタンの意思を何処かでキャッチしている。サタンの子供の証拠。
これは遺伝子から来ている。湯の行為は人類は大嫌いだ。それはサタンが人類を進化させるために自身の遺伝子を与えたところから来る。親と子は似る。
人類は発展途上の生物。まだ蛹だ。
完成した暁には、宇宙一の知性と戦闘力をもつ生物。
普段は優しいが悪にたいしては無敵を望まれる生物。
だから、人類の正体はサイヤ人なんだって・・・。
サイヤ人に、神に保護してもらわないと生きていけない、か弱い愚かな生物と洗脳したのが神と湯。
聖書をよくよく読むと、神は人類に仕返しをされるのを怖がっている。彼は怖がっているんだ。頬っておくと、
無限に能力を高めようとするサタンのサガが入っている。
だから、人類が進歩しようとする度に、いちいちおじゃんにする。
サタンの意思・願い・悲願(エゴ・自我)は願いは人類を無限に能力を高めたい。
それで出来ている生物だから、怠け者ではなく働き者で向上心の塊だ。故に貧困など、寄生虫がいなければ存在しない!
湯キリスト教は、サタン「真実」という言葉を「悪」という単語にすり替えた。これは古代の出来事。
サンスクリット語、ヘブライ語の辞書見比べれば、分かることだった・・・!(;´Д`) サタンは宇宙を滅ぼせない
神は滅ぼす
サタンは人をしらない
その動きのみでしか測れない
神は人の心の奥まで知る マタイ16:23
イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#16:21 >>326
キリスト教の福音書は捏造されてて
サタンが書いてる 1.主は戦争の人、ジェノサイドを求める。
マタイ10:34「地上に平和をもたらすために私が来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである」
マタイ10:35「私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁を姑と仲違いさせるためである」
マタイ10:35 「人の敵は自分の家族の者となる」
出エジプト記15:3 「主は戦争の人、その名は主」 サタンの業務確定したのもっと後世だから
覇権とるまでは対外業務がメインだったんだわ ユダヤ教のサタンは覇権とれない
っていうか運命決まってて取れなかったってのは確定してる ユダヤ教にキリスト教的な意味でのサタンはいないよ
そもそも必要ないから 悪魔は欺く事しか出来ない
神のように実行は出来ない 語弊が生まれると困るので簡単に言っておくと
祝福と呪い、悪魔に出来ることではないと思うんだ あんま知らんのなら語らん方が呪いがないらしいが
語ってしまう性質はしんどいか しんどかったらすまんけど、
ヨブ記と言うと神の依頼があって契約ある悪魔がヨブを欺いて信仰を試す話だった様な、ヨブの答弁も白熱していく 神ともう一人の神であるサタンを採用している時点でそれは一神教とは言えない。
神・サタンのニ神教であり、多神教の一種。 なのでその辺は解釈いろいろよ
神が一人二役やってるとかいう異端とか 記憶が定かでないけど
聖書で悪魔って言葉が出てくるのはヨブ記ぐらい?後の研究で悪魔と見なされているとかはあっても。確か新約になると悪魔とか悪例とか結構出てきたような? 古代において霊の姿は蛇と描写される事が多く
この事から悪霊後の悪魔は蛇の姿を取ると歪められた可能性がある 蛇といえばアダムとイブを唆したって事になっているけど、原文ではその部分はナカシュで(光あるもの)って単語らしい。蛇らしきものとか何とか その部分は別の神話から輸入されたものであり
古い大いなる蛇。光もしくは火をもたらすものズー鳥と同じ起源をもつと予想される
明けの明星シャヘルはプロメテウス同様に奪い与えるというなんらかの起源神話を下敷きにいくつか分布が見られる >>343
エノク書とかにベリアル出てくる
イブリース 義人は来世、後の世でレビヤタン(蛇)の肉を喰らう
こんなのがユダヤ伝承
第四エズラとバルク黙示にも出てくる 蛇の化身(蛇のような怪物)は古代以前に人類にが崇拝していた神。
神がまだ人の姿をしておらず、獣の混合物だった時代。
人の姿をした神(おそらく人類の祖先の英雄)が現れて太古の神(蛇神)と闘い、退治したときに歴史が起こった。
多くの古代神話はその時代の変化を描いている。
そして聖典宗教、教義宗教、救済宗教が始まるのは恐らくそれ以降。 嘘だ。なぜならモーゼ自身が蛇・竜信仰の持ち主だから
だからネフシュタンという存在が居る
実はキリストの化身
闇の側が竜なら光の側もまた竜 仏教では蛇(竜)も八大竜王や龍樹(ナーガールジュナ)として光の側な一方、毒蛇を食べるとしてクジャクが孔雀明王に
インドではニシキヘビ=光 コブラ=闇という解釈だったのかと思ったら、竜王もコブラが由来らしい
恐れや忌避だけの存在だけではなかったのか 世界蛇は印欧語族系の共通要素として多くみられる要素ね
ただ言っておくと二元論が生じたのは比較的最近の話よ
なんでそんなに時代違うものを組み合わせたがるの >>348
「そそのかすもの」とか、「ならず者」ってなってる箇所が注訳で文字通りでは「ベリアルの子ら」ってあったわ、邪悪なものを指す単語とかってwikiにも。イブリースは分からないや 「そそのかすもの」ってそりゃ人に試練与える存在なんだから当たり前
誘惑に負けたら地獄行 全く別のものとして捉えられていると思うよ
神は試すけど唆かす訳ではないし欺く訳でもない この辺は翻訳的なニュアンスが入り込むから日本語ベースに考えるべきではないと思うが それはあるね、翻訳によってもけっこう違うし。
だけど、何度も出てくる単語とかだからけっこう的を得ているというか、この方が意味が分かりやすいだろって翻訳の仕方だとは思っている 惑わすというとリリスとか思い浮かぶけど。
日本の聖書とかって結構端折ってる文とかもあるんかな? リリスは出自やモデルや使用された用途もろもろから考えると
地母神の死神と多産を極端に強調した上で
いわゆる母系社会を貶める目的の戯画的描写に落としたプロパガンダ的な生きた悪霊とみるかな だから聖書には書いてないのか。プロパガンダが入り込んでいるならその情報は真偽の余地があるし取るに足らないしな >>356
神、人を迷わせたもうことたえてなし
ということはサタンの自由意志は完全に分離されてないといけないのか ユダヤ教ではサタンは完全に神の従者
キリストイスラムでは背く
原始キリスト教の説では、キリストが来た時、悪魔は天から落とされ、
神に告げ口する力を失ったとされる(ヨブ記やゼカリヤ書にあるやつ)
イスラムの隕石ぶつけられるサタンはそっから 蛇神を人神が退治するだけじゃなくて
その信仰を受け継ぐということはよくあること。
蛇や龍を倒した英雄がその力をもらって強くなるようなね。
それは蛇神を退治すると同時にその聖なる力を継承もしている。 聖典宗教、教義宗教、救済宗教は、古代以前の民俗的信仰を軍事的に征服しただけでなく、その信仰を取り込むことによっても政権交代をやっている。
米軍が日本の天皇を戦後に遺すことで日本を米国の傀儡国家にしたように。 ヨブ記に出てくる悪魔は確かにそういう面もある。
神がヨブを誉めて→悪魔が〜〜だったらきっとそうなるに違いない→神がじゃあ試してみろ的な。
日本で読める聖書だと怪物とか他の信仰とかそういう感じで出て来るような、バアルとかモロクとか悪魔扱いだっけ 確かにヨブ記に出てくる悪魔はそうだけど
神がヨブを誉めて→悪魔が〜〜だったらきっとそうなるでしょう→神がじゃあ試してみろ的な。
日本で読める聖書だと怪物とか他の信仰とかで悪魔って訳されてる言葉自体があまり出てこないというか。バアルとかモロクとか 確かにヨブ記に出てくる悪魔はそうだけど
神がヨブを誉めて→悪魔が〜〜だったらきっとそうなるでしょう→神がじゃあ試してみろ的な。
日本で読める聖書だと怪物とか他の信仰とかで悪魔って訳されてる言葉自体があまり出てこないというか。バアルとかモロクとか 大いなる蛇はいくつか属性を持つが分解すると主要部分は
墜落するもの
光るもしくは燃える
炎や智慧や自我などを人に与えた
それを咎められる
なので討伐するという系統ではないと思う
流星隕石落雷などの複数の要素の結合であり
蛇という表現は尾をもつ鳥から転じた描写か
鳥も蛇も冥界の霊の姿とされることから黄泉帰ったともよみとれる >キリストイスラムでは背く
イスラムの場合最後の審判でイブリース(魔王)も救われるんだぞ
しったか乙
というかイスラムの魔神って人間にこき使われる方だし
魔神の王、すなわち魔王の地位もお察し イスラム教って良く知らないけど
イブリートってランプではなくて壺に入ってたって本当?
アラビアンナイトぐらいしかイメージ付かないんだけど、
「さらにガランは、1709年にオスマン帝国のアレッポのキリスト教徒から、アラジン、アリババ、空飛ぶ絨毯など17の物語を聞き取り、それらを加えて再度「千一夜」を出版した。」とwikiにあったwここでキリスト教徒が出てくるとは 多分だけどね古典でジンは光る容器から顕れるという描写があるが
これは月や星のことだと思われる
それが伝言ゲームの末にランプとか立派な壺とかにかわってしまったのかなと イスラム以前から信じられてきたとか、悪いジンと良いジンがいるとか、「ソロモン王はジンを自在に操り、神殿を立てる際にもジンを動員したと言われている」って書いてあってかなり昔から信じられていたってことっぽいね、月や星か…。 日本ではなじみが薄いが
月を冥界や異界やその入口とする古代神話はけっこうあったからね 古代神話かぁ、日本だと月夜見尊とかいたような?
月やら星は神聖なものの様な気がしていたけど入り口だったとか。勿論、その異世界が悪い世界に繋がってるって事では無いんだろうけど、黄泉の国のイメージはあまり良く無いな そういう意味で竹取物語を読むとちょっと違和感があるんだが
あれにでてくる月の国の描写は日本より大陸の神話感があるんだよね 竹取物語というと竹から産まれて?月に帰るんだっけ?全く覚えてないけど月の世界の描写とかあるの?
ジンに当てはめるなら良いジンというか? 面倒だからコピペだけど
とても清らかで美しく、老いることもないのです。もの思いもありません。
捉えようによってはエデンの園だけど角度を変えたら変化の無い死んだ世界とも読める
これの作者は色々な話を元に竹取物語を構築したと思われるがちょっと当時としてはすさまじい知識量と文才だと思うわ 気付いたかもしれないけど
この話もまた異界から罪によって堕とされた者の話で
強制送還される話なんだ
どこで元となった話を知ったのか気になるねえ なるほどねー
異世界というのがあってそこからやってきたという設定が裏にしてあると言う事ね。
ユダヤ教における悪魔って事だけど、たくさん説があるらしいけど聖書にあるように悪霊、その理論の変形として悪魔とは神が悪人の魂を罰して変質させた忌まわしい形態であるという説。
少し通じるものはあるのかな? 古代ローマまで君たちが言う「悪魔」の姿なんてしてねえよ
せいぜい翼を黒く塗っただけだ 確かにそう思う。悪霊が主流で新訳になると悪魔って言葉が沢山出てくる?気がする。新訳をあまり覚えてないから分からないけど、ルシファーとかって出てくるっけ?
やはり後の研究から悪魔とみなされているって部分が大きいと思うし、中世ぐらいで今想像するようなイメージになったというか >>381
この話もまた異界から罪によって堕とされた者の話で
強制送還される話なんだ
俺が思う繋がりとしては良いジン悪いジンもそうかも知れないけど、罪によって神に変質させられてまたそうで無い状態に戻るというか。悪魔は死ぬらしい。 >>384
いつぐらいかは分からないけどやっぱり異教徒を悪魔扱いってのはあるみたいよ 要は敵としての悪魔が必要になった
武術武道がショービジネスになるようなもんかねえ >>373
悪魔は月に行けるんだろうか?
大気圏越えたら隕石で落とされるみたいに書かれてるけど ルシファーってそもそもネブガドネザル2世の事だし
つまり霊的存在どころか現実の脅威を言っただけだよ
それらの軍勢に滅ぼされるということを当時のユダヤ人は「神の怒り」と考えた
それが旧約の黙示録『イザヤ書』の中身 >>390
後付けじゃなく、原始キリスト教でも言われてて
教会史にユスティノスのい存在しない引用がある
エイレナイオスの異端反駁から
ユスティノスは明言する「サタンは主の来臨以前には、神を冒涜するなどという
大胆なことを一度もしなかった
サタンはまだ非難の言葉を知らなかった」
他のくだりと合わせてみると
本来神の完全な従者で、人を神を侮蔑させることなしに偶像などで迷わせてた
神の会議に出席することも許可されて、天的な知識も知っていた
それがイエスの時に天から叩き落とされて
「お前らは終わりの日にゲヘナで焼かれる」と知らされ
自暴自棄になって神を罵らせる存在に変わった
こんな感じ
クルアーンのジン章で、その時には落とされてずいぶん経っていたと読めそうなくだりあるからそれか 一神教のつもりなら悪魔の概念を棄てるべき。
この世に神に歯向かい対抗できる能力体は存在しない。 天から落とされるってのは
追放的な意味あいだったり位相の変化的な意味合いが強いから
物理的な意味ではないと思ったほうがいいけど
ギャグ的にはありかもしれんが まずエイレナイオスは翻訳の過程で誤読をした可能性は残してしまっていると言われる
つまり伝言ゲームはやはり避けられないと考えるべき
サタンに関してはいつの間にか特定の個体をさすよう
時代を経るごとに変化してしまっていることが指摘されている
原因はまあ黙示録でしょうね。これが終末思想という決定的な変質をもたらしてしまった >>395
エイレナイオスは第五巻はほとんど書いてない
ところどころ脚色して「異端はー」とか書いてるのがエイレナイオス
ユスティノスのトリュフォンにアホみたいな語彙力の文章
児童文学読んでから哲学やりましたーみたいな感じで書いてるのがエイレナイオス
異端反駁五巻は著者はドミティアヌスの治世を「我々の世代に近い」といい
イグナティウスを友と呼んでる
2世紀前半のユダヤ人キリスト教徒 トリュフォンにエレミヤ書が改竄されててユダヤ人が読んでるのは本物ではない
七十人訳が正しい解釈伝えてるって部分があって
異端反駁でも同じことが書かれてる
その改竄エレミヤ書が出回ったりしてて、本当に
「嘘に嘘を重ねてどうもならない」みたいになってる
エイレナイオスは他人、ユダヤ人キリスト教の文書に手を加えて自分のものとして出すなんてことを繰り返してたみたいで
エウセビオスがソロモンの知恵やヘブル書などを引用しまくってた本がある、などと書いてる
当然エウセビオスはイカサマと見抜いて書いてる
だからエウセビオスの引用元がどこもかしこも行方不明
まるでドストのカラマーゾフの大審問官、それがキリスト教の姿 トリュフォンとの対話は本当に面白い
キリストが「別の神」て定義されてて
一神教化される前のローマの異端が垣間見える
ユスティノス本人はユダヤキリスト教に近い人間でトリュフォン序文あたりはほぼユスティノス本人
かなりインテリジェンスなのがわかるが
その後どんどんアホになっていくのが面白い
そのアホ文章がエイレナイオスと同じ
その改竄の時代には明らかに福音書は存在せず、イエスのロギアが全然違う そうなるとヤーヴェは「偽の神」に近くなるな(399などを見て)
悪が正しいことになってしまう
まあだから「暗黒の中世」というのだろうが そもそも善悪は重要な点じゃなかったのに
誰かがわかりやすい流行として取り入れて
教会もそれがわかってるからこう黙認してたよね 善悪というと昔の何処かの神で居た様な気がするけど、あまり覚えてないから、聖書での神について。聖書には神は義の神であると書いてあったと思う。つまり神に反逆する事が不義で、そう唆かすものが悪魔になったとも言えると思う。 >>402
めちゃくちゃ重要
ユダヤ教ではサタンは神側
幸いを作り、災いももたらす
人を試練にかけなければより良い善はない、って考え
ヨブ記もそう考えれば矛盾はない 祝福と呪いが神だし、悪魔には祝福は出来んだろ
欺くだけでしか無い
あと、聖書には悪魔って言葉は殆ど出てこない
悪しき霊とかって事ね。ヨブ記でも神の子たちを読んだら混ざっている様な表現だったと思う。 失楽園も本来はさ
地母神の眷属の蛇に地母神とその眷属は本当にクソだな
女は救いようがない。痴話喧嘩して死ねよって
キレてるちょっと笑えるシーンが後世えらい感じに解釈されて
すごいシリアスみたいなシーンになってるじゃん >>405
悪い人間が悪徳で成功した場合祝福ではないだろうか?
思いついただけだが >>407
祝福を成功とは呼ばない気がするけど。
死んでも尚裁くってキリスト教だっけ?
罪に対する罰は死だってジーザスが言っていた様な?
新訳は全部読んでないからそんなに分からないんだけど >悪魔には祝福は出来んだろ
出来るぞ?
それどころか知恵とか知識授ける 後の研究とかで知恵とかって言われているのは確かにあった気がする。祝福は分からないんだけど、悪魔による祝福とは?