燃え尽きた高橋は野球をやめ専大では別のことをしようと思っていた。
だが、その別のことが見つからなかった。1年秋にデビューし1部昇格に貢献すると、ストッパーを務めた2年春は昇格即優勝の瞬間、マウンドに立っていた。
一躍脚光を浴び、韓国・光州でのユニバーシアードに出場した日本代表に2年生投手で唯一選ばれた。
順風満帆に見えたが3年からぱたりと勝てなくなった。
意気消沈した右腕の支えになったのがロッテで通算87勝を挙げた渡辺俊介だ。

専大監督、斎藤正直の人脈で、学生野球資格を回復したアンダースローの“先輩”の指導を受ける機会を得た。「初めて全てを受け入れられた」。
カーブを伝授され球速も141キロまでアップ。
188センチのサブマリンは発展途上。球界の絶滅危惧種はまだ息絶えそうにない。