昨年の大学選手権決勝で、関西大の選手たちは試合後に整列して応援団が奏でる校歌を受けていた。六大学リーグ戦ではベンチ入れ替えの関係もありそれは困難だろうが、選手たちの応援団に対する感謝・礼儀を感じられて清々しかった。選手権や神宮大会は、そうした他リーグの様子が知れて興味深い。

他方、語弊あるが、法政の野球部は一般学生や多くの応援者の方々との間に一線を画するようなところが感じられ、どこか寂しい思いをしてきた。市ヶ谷キャンパスで見る限り、他学生との交歓風景もほとんど見受けられない。それが現役学生らが神宮にまで足を運んでくれない理由の一つにもなっているように思われる。

昨日はポロシャツ姿の野球部員が、スタンドで知己らしい若い女性たちのところにわざわざやってきて「応援に来てくれたんですか」と挨拶するところを目撃した。そうであるならば、野球部と直接の縁なくとも純粋に応援してくださるスタンドの皆様方にも、すれ違ったときくらいは「今日はありがとうございます」くらいの言上あってよさそうなものだと率直に感じた。その点、応援団チア・リーダー諸嬢は入場口で挨拶を毎回してくれ、うれしいと同時に応援するぞとの気分も高まる。

キャンパス整備に加え、このコロナ禍の影響により、大学の財布は火の車だ。だからこそ、寄付を募ってきたのであろう。そうした要因で、野球部等の活動にも今後深刻な影響及ぼすことが懸念される。そうしたときにモノをいうのが日頃の人間関係である。新総理にまで上り詰めた菅義偉氏の処世から、われわれも学ぶべきものがある。