また田中氏は、体育会本部傘下の各部の自主性を保障していた。
けっして、大学の最高責任者としての強権を恣意的に発動するような所為はなかったといえる。
それゆえ、野球部の推薦枠15名が大学から付与されてきたのである。
しかも、その合否についても各部の意向を最大限に尊重した。
したがって、もし成績不振あったならば、その責めは各部がまず負うべきは理の当然である。