皇帝は民衆にとって、外的な力でもなければ、征服者としての力でもない。
それは全国民的な、すべてを一致団結させる力であって、民衆が自らそれを望み、心の中で育てはぐくみ、愛し、そのために苦しみさえしたのである。
民衆にとって、皇帝は、彼ら自身、彼らの全理念、彼らの希望、彼らの信仰を一身に具現化した存在なのである。
こうした希望はつい最近、かくも巨大な実現をみたのである――したがってこれから先の希望を棄てるはずがあるであろうか?
それどころか、ますます希望は強まるばかりである。
と言うのは、農奴解放以来、皇帝は単に理念や希望の上ばかりではなく、事実の上において、彼らの父親となったからである。
事実、父に対するような、この皇帝に対する民衆の関係こそ、わが国においてあらゆる改革を成就させる堅固な礎石なのである。
言うまでもなくわがロシアには、皇帝と民衆とのこの有機的な、生けるつながりなくしては、われらを守り導く建設的な力は何もなく、
これがわが国においていっさいの源泉になっているのである。

漢字率: 29.22%
比較的、適正な漢字使用率です。さすが米川