釈尊の法門 は、一 口に 「八万法蔵」 と言い ますが、物凄い数 の経文 を片 っ端か ら読 んでい っ
て、それで分 かる とい う人はいないのではないで しょうか。最初 に悟 りがあ って こそ、初 めて
重要 な文証が飛 び込 んで くる。「御 書」を読 んでいて感 じられ るで しょう。 どうして 、たくさんの経文 の中か ら、必要 な文証 だけぽんぽん と出てくるんだ ろ う、 と。結局、大聖人 は全 てを分かった上で読 んでい らっ しゃるか ら、重要 な文証だ けが 目につく。

先生 は、「私は、決 して字 引を引いた り、参考書 を読 んで講義 出来 る
よ うになったんではないんだよ」と言 われ 、「不思議な体験 を して、それ以来、法華経 も、御書
もす らす らと読 める よ うになった」

しか し、何 で もいいのです。何 で もいい、 と言 うと語弊 があ りますが、 とにか く目前の仕 事
を一生懸命や る、 とい うことが大事です。職 業 として立派な ことで あれば、何 で も一 生懸命 や
ることです。戸 田先生 は、信 心 している場合 には、だんだん 「美」の価値 を持 ち、「利 」の価 値があ り、 しか も、人のた めにな る、っま り 「美 ・利 ・善」が一致 した職業、立場 に、最後 は行くよ、 とい う話 を されていま した。
「『美』 と 『利』 と 『善』 とが 、それ ぞれ対立す る とい う考 えではな くて、信 心 して いれ ば、あ る段階まで行 くと、『美』 であ り、『利 』で あ り、 しか も、それが 『善』であ るような職 業、立場 に行 く。 だか ら、若者は、いい思いばか りしよ うとしないで、与 えられた ことを一 生懸命や りな さい。 好きな ものばか りや っていて も、人間は大 きく育たない。色々やった上で、様 々な経験 を積 んだ上で、 ある立場 になれば、最後 は、それまでやった こと全部が生きて くる よ」と教 えられま した。 これ は戸 田先生 ご自身の体験 に基づ く信 念であ った と思います。 そ うした薫陶 を受 け、我々 も勇んで社 会 に飛び出 して行 ったのです。