篠木は小学校時代から「東京六大学」で投げる夢を描いていた。中学2年で明確な目標となり、その年、早川を擁する木更津総合高が春夏連続で甲子園8強進出。あこがれの早川が早大、翌年には山下が法大へ入学した進学実績を見た上で、篠木も同じルートを歩みたいと考え、木更津総合高へ進学したという。

 教育熱心な家庭で育った。中学時代は3年間、学業成績はオール5の超優等生。木更津総合高でも、野球部員のほとんどが在籍するスポーツコースではなく、3年間、特別進学コースで文武両道を実践した。

「本来は小学1年生から野球を始めたかったんですが、しっかりとした成績を残してからでないとダメだ、と、3年生からになりました。中学時代も学年順位で1ケタをキープできなければ、館林ボーイズの練習には行けない、と。野球を続けるためには、勉強をする必要がありました。学ぶことによって見える世界も変わる。両親には感謝しています」

 木更津総合高では1年夏の甲子園3回戦(対下関国際高)で救援登板し、早くから脚光を浴びた。2年秋の県大会敗退以降は、主将として鼓舞。新型コロナウイルスの感染拡大を受けた、昨年の活動自粛期間。篠木は地元の群馬・館林を拠点としながらも、感染予防を徹底した上で、木更津総合高グラウンドで自主練習を行った。法大・山下も同校で汗を流しているという情報を聞きつけ、投球技術だけでなく、トレーニング法も吸収した。

 甲子園大会中止を受けた昨夏の千葉県高野連主催の独自大会で優勝。篠木は計30イニングで2失点と抜群の安定感で、有終の美を飾っている。高校2年の11月末に法大の練習を見学し、「木更津総合のときもそうでしたが設備、雰囲気を見て、ここでやりたいと、ピンときました」と同校への進学を決めた。

 今秋に神宮デビュー。2試合の救援登板を重ね、最速は155キロにアップした。初先発した東大2回戦では打線の援護に恵まれなかったが、6回3安打無失点と試合を作った。