日本の洋楽リスナーには割と根深く「黒人の音楽はスルーで」みたいな同調圧力がある
今でもケケケみたいな時代錯誤の反社レイシストが出て来るぐらいだから

70年代当時の日本の一般的な洋楽ヲタはR&B(70年代はソウル・ファンク)なんて誰も聴いてなかったわけよ
ある種のガラパゴスな鎖国状態で英・米・日本のロック・ミュージックしか知らないリスナーが大半だった
でも一部のミュージシャン連中はモータウンもファンクもソウルも歌の入ったジャズフュージョンも知ってたと

そういうリスナーとミュージシャンの情報量の落差を利用した
「渋谷系」的な外来音楽の輸入卸売業の藤原ヒロシ的なやり方で
一部のミュージシャン連中は日本の洋楽ヲタにブラックミュージックを勧めていくしかなかったというのが
シティポップの歴史的経緯なんだな