彼らが正式にThe 1975となる2012年1月頃には、すでにアルバム1枚分の楽曲があった。
しかし、彼らはアルバムをリリースするのではなく温存し、
世間の関心を高めるために、一連のEPをリリースすることを選択する。

また、マネージャーのOborneはヨークのシンガーソングライターBenjamin Francis Leftwichとも契約しており、
彼は2011年にファースト・アルバム『Last Smoke Before The Snowstorm』でチャート入りしていた。

LeftwitchもThe1975と同様、デビュー・アルバムに先立ちEPをリリースしていたが、
この”EP・ファースト”といえる手法の先駆者は、エド・シーランだ。
彼は2011年のデビュー・アルバムより先に、まず5枚のEPをリリースしている。
シーランが上手くいったのだから、同じように上手くいくはずだという目論みだったのだろうか?

後にThe Raveでギタリストのハンは、
「俺達の目的はフル・アルバムを出す前に、豊富な楽曲をリリースすることで、
みんなにどんなバンドかをよく知って貰うことだった。EPは入門編だったんだ」と説明している。

「バンドの楽曲がリリース順に書かれたと思われてるのは、無理もないことさ」
と、ヒーリーは後に、いくらかの楽曲を温存していた件についてMusic OMHに語っている。

「例えば、(EPの)Facedown、次にSex、そしてMusic For Carsと、EPがリリースされた順に曲は書かれたんだろうと。
実際はそうじゃない。まず最初にファースト・アルバムの曲を書いたんだ。
でも音楽をリリースする段階になって、
俺達がどんなやつか鮮明に描かれている本当の意味で豊富な量の曲をリリースしたいと思った。
そうすることで、他人がどういう人物かを知るように、バンドを知ることができる。
時間が経つにつれて、より俺達のことを知っていくという具合にね」