KKK2号のブラックミュージック感の根底にアシッドジャズ的なものが根深くあるなら、
そこのさらなるルーツとしてのスティーヴィー・ワンダーを凄く重視する姿勢もうなづけるんですよ
インコグニート聴いても、スティービー・ワンダーだなあと思うんもん

もちろん彼は偉大なミュージシャンであるとはオレも認めるんだけど、
ただブラックミュージック一般を全体として考えたときに、
アシッドジャズ、クラブジャズ的なものを、ブルースを含めたUSブラックミュージックを差し置いてブラックミュージック考察のゼロ座標に置口ことで、
その際にそこからマイナスに遡ったルーツとしてのソウルやファンク、スティービーやモータウンサウンドを、ブルースと、ついでにそれをルーツとするロックをともに追放する形で
強調しすぎるブラックミュージック史観を押し出す挙措は全く賛同できないし、
それは世代的な偏りと指摘せざるを得ない

ロック史観によってそこがポップミュージックの歴史の中で過小評価されてる、と言う事実認識が部分的に正解だとしても
旧来の史観の全否定とかそれの歴史修正を伴ったものは
KKKの白人中心史観と同じくらい、ちょっと不穏だと思うんだよね