馬鹿な広告媒体に音楽的な才能は皆無。

(失礼ながら、原則、事実ではないのか?)

才能があれば、的確な批判力をまとうからだ。

君たちに原則、それはなかった。

J-Popにタイアップ仕様書が皆無なら
間違いなく評価は高い。
その創作範囲には限界がないからだ。
器楽的原則とは、
5分スパンの上品な作風の事ではないが。

君たちの写経の上手下手を論じない。
芸術家は義務だけ果たせばよい。
責任は必ず周りが台無しにするのだから、
広告文化から逃げ出すのも一律義務化すべきだ。

テレビ局、ラジオ局、雑誌媒体、
みんな写本で食ってるのだ。
写経の上手下手を論じてどうするのだ。

本来のJ-Popスコアは
Soul Kidスコア前後の近似値である。

音楽とは虚数解を探す旅路である。
全音調の歴史的発見が先で、
副旋律の発見が後の場合も当然あるのだ。
とやかく言うなよ?