>>539
これを再構成してみましょう。ある職場の上司が、後輩の女性スタッフに何度も性的暴行を加えています。
他の後輩はそれを見ていたが、騒ぎを大きくしたくない、巻き込まれたくないという理由で声を上げないことにしている。
その後輩は自殺。
そして、その後輩は、調査の際に、虐待の現場を知っていた、あるいは、何かが起こっていることを知っていたが、
自分のキャリアを考えると不安だった、と告白する。あなたは彼らがかわいそうだと思いますか?
虐待を防げたかもしれない、虐待を受けたことで生涯のトラウマになったり自殺したりする人を救えたかもしれないと知っていて?
私は、ドキュメンタリー番組が、特に一般大衆のために真実を照らし出すという点で、有益な情報をもたらしたことを認めました。
しかし、虐待を受けた本人が話した後に名乗り出ることを選んだこれらの人々は、最初にすべきことをしたというだけで、それは正当な批判に値する。

私はあなたがそう考えたことを理解しますが、私はあなたがまさに彼らが人々に見て欲しかった角度から来たと信じています。
彼らは無力な傍観者だったのです。
彼らは、自分がすれば呪われ、しなければ呪われると感じていました。悲しいのは、彼らが努力さえしなかったことです。
そして、ドキュメンタリーを制作する際に、彼らが努力したことを認めなかったことは、それを物語っているのではないでしょうか。
なぜなら、彼らは努力しなかったし、そう言ったはずだからです。

NETFLIXのドキュメンタリーを再構成すると実際にブリトニーが選んだ弁護士を雇うのを助けようとした関係者達がいたのです。
彼らは実際に、自分たちの危険を顧みず、保佐人に働きかけたのです。それは勇気ある行動です。英雄的です。
そして、NYTのドキュメンタリー(ティシュさんやフェリシアさんが出た方)に参加した人たちが13年経ってから名乗り出たのとは対照的に、
彼らはその行動に対してほとんど、いや全くと言っていいほど評価を受けていません