1909年(明治42年)11月6日付
夏目漱石「韓満所感(下)」
「歴遊の際もう一つ感じた事は、
余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。
内地に跼蹐(きょくせき)してゐる間は、
日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に
始終圧迫されてならなかつたが、
満洲から朝鮮へ渡つて、
わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、
日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた
同時に、
余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、
まあ善かつたと思つた。
彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、
真に運命の寵児と云はねばならぬ。」


『韓満所感』夏目漱石随筆
1909年(明治42年)11月5日と11月6日付けの満洲日日新聞に「韓満所感(上)」「韓満所感(下)」
の2回にわたって掲載
漱石が1909年(明治42年)9月2日から10月14日まで、
親友の南満州鉄道総裁中村是公の招きで朝鮮、
満州を初めて訪れた時に感じたことを書き記している。