ベトナム民間人虐殺「ハンギョレ21」初報道から23年後に認められた韓国の賠償責任
登録:2023-02-08 06:12 修正:2023-02-08 07:13

韓国軍によるベトナム戦争民間人虐殺事件は、1999年「ハンギョレ21」の報道で初めて知られた。報道の衝撃による反発は激しかった。2000年6月27日、枯葉剤後遺症戦友会のメンバー2000人余りがハンギョレ新聞社前の道路を占拠して放火を試みる一方、社屋に乱入して什器を壊し、社員たちを殴る事件が起きたのだ。
 「ハンギョレ21」のコ・ギョンテ記者は翌年の2000年11月、30年ぶりに機密解除された米国国立文書保管所のベトナム戦争韓国軍虐殺関連文書と写真を入手し、世界で初めてフォン二ィ・フォンニャット村の惨劇を知らせた。コ記者はそれから10年あまりたった2013年1月と2014年2月にベトナムの村を再び取材し、翌年の2015年2月にその結果である著書『1968年2月12日』を出版した。