「初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聴き、私はとても感動して」「1970年代の末に、私の音楽を偶然に聴いたジャニーさんにほめていただいて」「数々の才能あるタレントを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません」「ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温めて、幸せにし、夢を与えてきたか」
「ご縁をいただいて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えてくれたことに、心から恩義を感じています」

山下さんのジャニー喜多川さん礼賛は、まさに見当違いの熱弁でした。

未成年に繰り返し行われていたかもしれない性加害について「ふれられない」、あるいは「ふれたくない」のなら、礼賛の言葉も最小限にとどめなければバランスが悪く、この時点で炎上が確定したと言っていいでしょう。

ビジネスパーソンのみなさんが釈明を求められたときは、今回の山下さんほどバランスを欠いてしまうことはないのかもしれません。ただ、話しながら心の中で「釈明のバランスは悪くないか」「本題から離れて熱弁していないか」などと自分に問いかけるクセをつけたいところです。


また、山下さんはその流れでSMAPやKing & Princeの解散やメンバー脱退についてもふれていました。今回の件とはまったく関係ない話であり、もはや山下さんの頭から“釈明”という目的が薄れてしまったのでしょう。


今回のような釈明の機会に限らず締めのフレーズは、スピーチ全体の印象を決定づける大切なものです。 しかし、往々にして犯しがちなのは、「『最後だから』と思うと、自分の気持ちをスッキリさせたくなって、本音をぶちまけてしまう」というミス。

その点、山下さんが選んだ「私の音楽はその人たちには不要」というフレーズは、「この人は相当怒っているんだな」だけでなく、「上から目線」「武闘派」などの印象を招かせる明らかなミスチョイスでした。