いまのところ、だが、君たちは不完全さを盾にした
古く懐かしいアバウトな半身の若さとしか
見られてない。
これは混乱した手探りの時代に必ず見られる
怒れる若者文化に企まれた別の姿に違いなく
単なる見かけだけの真似事にすぎなかった。
君たちにオリジナルは宿らない。
やはり借り物文化でしかない。
どうあれ、ありき論で言えることで、
いずれの世代においても次世代たる
若者が、時代の象徴・正統派であるべきだ。

さて、挫折した大人たちを否む君たち世代は
なぜかその無言のルールを歪曲し、
優しさや弱さがいかがわしいと皮肉り、
邪な計画に書き換えた。
それは完全無欠を装う思い違いであり、
単なる強者の論理ではないのか。
それは目新しくもないし、古臭い割には
新たな面倒が増えてゆくだけの夕陽である。

これはもう期待過剰や期待はずれではなく、
若さが若さを裏切る皮肉な顛末を避けてほしかった。   
背後に卑怯者の大人たちの存在を
見るならば、そこは避けて構わないはずだ。
根本から社会を腐らせたのだから
若さのエネルギーの使い方は大きく逸れたといえる。

ロックの目標は楽園半ば過ぎの
当たり前の軍縮なんだよね。
遅刻した時代に余計なお世話だ。
今後、邪魔すんなよ?