J-Popが誕生してから35年間、
平成歌謡曲と当初は呼ばれたよ。
こんな時代であってもいいと思う瞬間は沢山ある。
リスナーさんの音楽の履歴書が増えてきて、
良い趣味だと満腹してくださったことが
励みになったこともある。

手を汚した我々の悲しみを慰めてくれた。
作曲家夫妻と共に歩んですらいない新世代に
この感慨がわかるだろうか?
有名になるでなく、名誉があるでなく、支払いもなく
薄暗いスタジオで2人だけで作り続けた。それはエゴだろうか?
僕たちは音楽が好きだった。
確かに僕たちは音楽と相思相愛だった。
「友人の音楽家たち」が、
(多くは僕たちの境遇と音楽を嘲笑って憎んでいた)
むざむざと死んでゆくのを止めたかった。

CDやDVDは無残に割れて、アナログは穴が空いて、
テープは紐を引き出され、ターンテーブルやギターは
安ければゴミに出されて、腐った皮肉屋の評論雑誌や
決して僕らが載るでもない音楽グラビア誌は
切り刻まれて捨てられていた。時に集会で燃やされていた。
古のビートルズのレコードのように。
壊れたアイテムの写真は新型の携帯からテンプレートされ、
少額の支払いに代えられた(せいぜいが2万円だったとか)

それでも検閲されやすいサブスクリプションに
乗り換えるから構わないんだとさ(騙されてやがるわな)

すべて評論家や腐れたポップスター症候群に巨大な罪があるのだ。