中島みゆきと亡き母の関係「歯を食いしばって助け合う戦友」
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「開業医になっても、中島家の生活は苦しいもので、みゆきさんとお母さんが病院で働いて家計を助けていたんです。みゆきさんの弟は父と同じ医者をめざしており、その学費を捻出する必要もあった。みゆきさんは合間を見つけてはコンテストに出場して、賞金を稼いで生活費にしていました。ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト(ポプコン)によく出ていたのは、ヤマハの賞金だけ現金払いだったからです」(前出・中島の知人)


《医者にもピンからキリまであって、うちの場合はキリでしたし、父が亡くなって、貯金を調べたら、たった10万円あったきりでした》

 中島は1975年9月に「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビューしたが、その背景にも経済的な苦境があった。

「ポプコン・グランプリの賞金150万円は、まるまる父親の葬儀代になったそうです。父の死後、収入面で一家を支えるため、みゆきさんは東京に出てプロの歌手になる決意をしました。そんな娘を陰ながら励まし続け、支えたのがお母さんでした」(前出・中島の知人)