50手前なんで、これ作った頃は、22、23歳ぐらいだったと
思うんですけど、カートコバーンの事もあって
この曲を作ったら、死のうと思ってました。
Beingという会社で、こんな曲を出すのは凄く難しい事で
WANDSのブランドイメージというのも大事だったので、
中野サンプラザは固定席になっていて、5mぐらい離れていたんですが、
そっからダイブしたり無茶してました。
今まで生きててよかったなと思えるし、この曲も
今とは考え方が違うんですけど、生きて来られて新しい
曲も作れて幸せな事だなと思います。

same side作ったころは死のうと思ってたらしいな