当時は刃物鋼材と言えば鋼しか無かった訳で、名倉で充分だった。
だから使われなかったし、刀研ぎ用では無かったって言うのが正しいのかも知れない。

でも、文献は残っていないけれど、この辺りの大工によって伝えられてきたのは事実だ。
でなければ俺にこの石を教えてくれるはずも無かったし、今でも研ぎの仕事をしていると、
懐かしがる年寄りが居る。それは勿論、元大工だ。

それからこの石の名前が三河油石で、その由来を探したらK氏のブログに行着いた訳で、
そこに書かれていたのは「刀を研ぎたる石、三河の脂身石」と有った訳で、
その意味する所をずっと探しているって言うのが現状。

そうやって検索を重ねていたら三河誌を発見した訳で、そこから判ったことは、
奈良時代には既に採掘されていて、碁石や工具にされていたと言う事、
蜜蝋に似た石、蜜に似た石と呼ばれていたことだった。

まだどの時代から「脂身石」になったかははっきりしないし、何処で刀を研いだのか?
その経緯は?と言う所を探しているが、○○○と言われている。って言う書き込みが偶に見つかるだけ、
証拠自体は一切見つかっていない。
三河誌みたいな第1級資料は出てきてないのが現状、今後全てを見付けない限りは、
この問題に決着は有り得ないと考えている。