(´・ω・`)ごめん最後に伝えておいた方がいいかもしれないから話しておきたい事がある
(´・ω・`)らんらんの話してる事に少しでも共感したり興味ある人だけ見てくれれば良い

(´・ω・`)よく宗教の人とかが、「キリストが目の前に現れた」とか神秘的な体験を語る事あるけど
(´・ω・`)こういうって一般の人からすると頭がおかしい、誇大妄想って思うのが普通だと思う
(´・ω・`)らんらんも昔はそういう風に思ってた

(´・ω・`)らんらん宗教とか一切やってないし、そういうの体験した事無いから胡散臭いって思ってたのね
(´・ω・`)だけど、つい先日、三島由紀夫がはっきりと自分の意識の中で神秘的な体験となって現れた
(´・ω・`)これはぶっちゃけキリストであるとかどっかの国の宗教の神であるとか全く関係なくて
(´・ω・`)とにかく自分の意識の中にハッキリと見える形で神秘的なモノを感じたって事がとにかく重要なの

(´・ω・`)らんらんはそれが三島由紀夫だった、でも、三島由紀夫だったからこそ分かった
(´・ω・`)三島由紀夫文学芸術としての真の完成系が自分の死を持ってして完成されていた事
(´・ω・`)意識の中に[燃える金閣寺]と[日本の魂]と[三島由紀夫自身]を重ねて見た事
(´・ω・`)文章表現にある[正義]=[太陽]が[目に焼きつく]っていうキーワードまで使って
(´・ω・`)三島由紀夫の文学作品全てと自身の死を全部繋げて織り交ざて意識の中にイメージとして見た時に
(´・ω・`)ハッキリと輝いて現れた これはらんらんみたいに見えない人もいるかもしれないけど
(´・ω・`)らんらんは三島由紀夫がそこまで汲み取れるような人に対して意図してイメージ出来るように
(´・ω・`)自分の文学の芸術の完成系を見せたと思ってるの だからこそ彼の文学作品は
(´・ω・`)芸術の域を超えているっていったの 彼は人の意識の中に自身の文学と己自身の
(´・ω・`)太陽のように輝く虚像を造り上げたの これは意図してやったならもう人間業じゃない

(´・ω・`)で、ここから重要なんだ その人の意識の中に虚像を造り上げるという事と
(´・ω・`)らんらん自身が見たその三島の姿、そこからその空間を認識する事で
(´・ω・`)自分の意識の中にある宇宙空間みたいな精神空間をハッキリと認識する足がかりになる