1994年に森秀行厩舎に入厩し、6月19日の3歳未勝利戦で優勝。

サラブレッドを相手にしたレースでは勝てなかったが、府中3歳ステークスではホッカイルソーの

0.4秒差の5着に入る健闘も見せた[1]。アラブ系競走に限れば、

芝コースでは全勝という強さを発揮する一方で、

ダートのセイユウ記念ではシゲルホームランに2.7秒も離される大敗を喫するなど、

芝・ダートの適性が両極端でもあった。楠賞全日本アラブ優駿にも出走して

キタサンオーカンの7着[2]。中央競馬最後のアラブ系競走となったアラブ大賞典(中京)を

勝った翌週には、中山のスプリンターズステークスに挑戦したことも話題となった。

さらに翌年もサラブレッド相手に2戦するがいずれも大敗し、中央競馬を去ることとなった。



地方競馬所属期

中央競馬のアラブ系競走の廃止に伴い、

1996年2月に岐阜県地方競馬組合の荒川友司厩舎に転厩。

地方競馬には苦手なダートコースしかなかったため、

善戦はするものの勝てない時期が続き、特別戦での初勝利まで8か月かかっている。

笠松所属時代は、遠征も含めた全レースで安藤勝己が手綱を取っている。

その後、1997年秋に岩手県競馬に移籍するも奮わずそのまま引退した。


主な戦績

1995年シュンエイ記念 アラブ王冠 アラブ大賞典

現役引退後

現役を退いたあと繁殖牝馬となったが、2003年に用途変更となった。

産駒で競走馬として出走したのは2頭だけだった。

そのうちの一頭であるスプランディードは地方競馬で42戦8勝。