もともと東上線は東上鉄道という別会社でしたが、1920(大正9)年に東武鉄道と合併。東武の本線系統と離れた東上線との連絡線を設けることで、業務上の合理化と、当時は田園が広がっていた沿線の開発との両得を期待していました。東武の社史には、建設費に対する利益率も高く「抜群の効率経営計画」とあり、建設に意欲的だったようです。