こうして「大師線」となった西新井〜大師前間ですが、戦後はさらに道路計画との調整を余儀なくされます。環七通りの大師前駅前後の区間を建設するにあたり、鉄道を高架化するか、道路を高架化もしくは地下化するか、あるいは鉄道を廃止するかが議論され、一時は廃止も検討されました。