世間で通じない勝手な定義で何かを主張し世間の支持を得ようとする行為に意味があるのだろうか?
それもわからない人物に論理的思考能力や議論能力があるのだろうか?
京都大学ではそのようなことを教えるのだろうか?

社会的コミュニケーションの基礎とも言えるこうした事柄について
このような態度しかとれない者を卒業生だと主張させておいて良いのだろうか?
もし卒業させてしまっていたなら、京都大学文学部はこのような実例に鑑み、
卒業生の最低品質保証について深く反省していただいた方がよろしいかと思われる