サービス開始〜全盛期(2013年4月〜2014年)

2013年4月のスタート当初、角川グループは艦これをそれほど積極的に推していた訳でもなくコミッククリアで4コマ『吹雪、がんばります!』を開始初日から連載していた程度だった。ちなみに、現在のプロパガンダ拠点となっているコンプティークが初めて艦これを取り上げたのはスタート半年後のことである。

DMMの側でもサイト内外での芋絵を前面に押し出したバナー広告などは展開していたが、先にスタートしたLoWのような直球エロが売りの訳でもないので地味な扱いに留まり、到底ロケットスタートとは言い難いまったりした立ち上がりだった。
そんな中、いわゆる「ヒラコーショック」(用語集/は行参照)で一躍注目を浴びたことや神聖三文字(その他の謙兵行動記録参照)の激賞によりNTUY層の支持が拡大したことなどからアクティブ数が急増、サーバ増設が追い付かず新規登録を異例の招待制とするほどの盛況ぶりとなった。その勢いもあり、10月スタートのアニメ『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』とのコラボレーションも実現している(13冬イベ)。
この頃、田中謙介はナチュ毒の製作がメインで艦これは角川ゲームスの他のスタッフに半分任せていたのではないかと言われているが、いわゆる「矢矧事件」のように明らかな田中の容喙が原因と見られる騒動も発生している。

この時期のエピソードとして、DMMの「お偉いさん」から田中に「大和が欲しい」と接待プレイを要求されたが断ったと言うものがある。
表向きは「プレイヤー間の公平性」をアピールしているかのようにも見えるが「大和を取らせ過ぎた」発言も併せて考えると「相手が誰であろうと簡単に大和を渡すのは悔しい」といつもの病気をこじらせていただけかも知れない。そして7年後には私怨剥き出しの【謙法6条】BANを乱発して「プレイヤー間の公平性」など微塵も重視していないことを内外に知らしめた