艦国志演義あらすじ
はるか昔の厨華大陸、小国が乱立する戦国時代を経て角国の角源義が全国統一を成し遂げ皇帝となり、角王朝を開いた。
その後長子の角春樹は「現人神」を自称祭政一致体制により全盛期を迎えるが、弟の角歴彦にクーデターを起こされ流刑に処される。
歴彦の代になると民を無視した強引な政策が行われ、富める者は貧しい者からさらに金をむしり取った。人倫も乱れに乱れ、嫁を娶っても気に入らなければ三ヶ月で「終婚(おわこん)」として捨てる有様だったという。

やがて皇帝に反旗を翻すものが現れ、各地で乱が勃発する。その中で難民を受け入れ独自の政治政策で民心を勝ち取った東方族は東国を立ち上げ、
相度流(あいどる)と呼ばれる女性を政治に登用し発展した相益国、また芸妓と音楽で栄えた美空国は御三家国と呼ばれ、相互に協定を結んで角王朝に対抗していた。
事態を重く見た歴彦は謙介を水軍都督に任命し、乱の平定にあたらせる。早馬すら乗りつぶして捨てさせるぐらいの速度で宣撫工作を行う「捨馬(すてま)」をはじめとする情報戦略を駆使し、角王朝の圧倒的な資金力もあって乱は次々と鎮められ、いよいよ御三家国だけとなる。

謙介は東国から古見渓(こみけい)を奪取しいよいよ東国の最終拠点となる要塞、例大塞攻略に向けて第四次東伐に向かう。ここを奪えば首都上海は丸裸も同然であった。
しかし総大将の前川(ぜんせん)の采配ミスと東国特有の難所だらけの地形を活かしたゲリラ戦により大敗北を喫する。ここがターニングポイントとなり、東国が盛り返していった。
あわせて謙介が行った占領政策に反発を覚えた民衆が反乱を起こし、中でも貧農の出であった蘭舞多(らんぶた)の反乱と恒心教徒の乱は東国の援助もあって角王朝を苦しめた。

一方、謙介は「戦争に勝つには皇帝を始末するしかない」と野心を抱くようになる。密かに「四津機関」と呼ばれる組織を立ち上げ、クーデター計画を練っていた。ところが隠れ恒心教徒であった謙介の家人がこれを密告し、歴彦は直ちに誅殺を命じる。
追い詰められた謙介は部下とともに反乱を起こし、古見渓周辺に「艦帝国」を立ち上げて自ら「簡悔大皇帝」を名乗った。