さらに伸ばし 1/2

で、なんていうか自分としては、成田家で自分と具体的交流があったのは先生以外では
成田夫人の流里先生だけなんだけど(子息の事は自分は覚えてるけど逆は解らない笑)
いずれにしても成田美術教室生徒というのは基本的にウルトラマンのデザイン権利は成田氏のもの、
という主張を持ってた人々が僕も含めて多いので、つまり成田氏をその件で世の中が孤立させ、
結局恩師がなくなったあとでは、たとえば「成田氏の本心について知っている森本を黙らせろ、絶対に業界には入れるな、
アイデアをあいつが出すような事があればパクリ殺せ」みたいな動きは業界内外であったわけなんで、
それは僕は「雪解け」はいい事だと思っているけど、極めて不毛は不毛なんだよね。
僕が報われる事を信じてずっと両親は僕につきあってくれてたわけだから。
そのまま僕の名前がテレビのテロップに出るのを見る事もないわけだから。
結局成田氏のデザイン権利面で、社会が成田氏の主張を認めなかった事は、
僕の人生にとってもマイナスでしかなかったので。