「ミッ!」「ミキャッ!」
台所のほうから聞こえた何者かの声に俺の混乱はおさまった。そして次に、脊髄に直接氷を当てられたように戦慄した。俺の部屋に木霊する、俺以外の者の声。この状況下から推測するに、それが何者なのかなど火を見るより明らかだ。
俺は息を殺し、足音を殺し、玄関に立てかけてあったゴルフクラブを手にとった。接待ゴルフで一度使ったきりだったが、まさかこんな使い方をするとは夢にも思わなかった。
俺は台所に隣接する壁にゆっくりと背を持たれかけ、息を整える。台所から確かにゴソゴソとした気配を感じる。一、二の三で飛び込もう。侵入者が誰なのか、何の目的かはわからないが、一、二の三で目に物みせてやる。

俺は汗で滑りそうなゴルフクラブをぎゅっと握りなおし、五感を壁の向こうの気配へ集中させる。そして心の中で数を数える。一つ、二つ、三つ!
俺はゴルフクラブを振りかぶり台所へ飛び出し、薙ぐべき敵の姿を目視しようときょろきょろ台所を見渡す。しかし、確かに気配こそするものの、侵入者と思われる姿は見受けられなかった。
「ミーッ!」「ミーイィ!」
突然木霊する声の方を振り向くと、俺の視線は台所の一角に鎮座する冷蔵庫にたどり着いた。冷蔵庫の一番下、野菜室が開け放たれ、そこから二つのホイップクリームのようなものが見え、フリフリと上下している。
俺は予想外の光景にあっけに摂られ、無用心に冷蔵庫に近づくと、野菜室を覗き込んだ。

野菜室の中では二匹のタブンネが、一房のホウレンソウをつかみ合い、まるで綱引きのように引っ張り合っていた。
二匹ともまだ小さく、25〜30pといったところだろうか。俺が上から見下ろしてるにもかかわらず、二匹はこちらに見向きもしない。とても野生のそれとはかけ離れた警戒心のなさに、俺は荒らされた部屋の事もわすれ、しばし二匹に見入っていた。

タブンネが綱引きに夢中になっていると、ついにホウレンソウは千切れてしまい、二匹は勢いあまって仰向けに転んでしまった。そして必然的に、上から見下ろしていた俺と目が合う。
「ミキッ!」
一匹が俺を見て驚きの声をもらす。もう一匹は、驚きの余り声も出ないのか、俺を見つめたまま口をあんぐりと開け放っている。
そして俺と二匹はしばし見つめ合う。誰もがタイミングを計り損ねている。いや、どう行動したらいいのかすらもわかっていない。