埼玉転居年を検討し続けるパトリシア響子

【▼1974年埼玉移住説について(改訂)
萩尾さんが埼玉県H市へ引っ越した時期に関しては2つ説があります
「1973年埼玉移住説」と「1974年埼玉移住説」です 大泉本は「1973年埼玉移住説」を採っています
これは1973年5月小鳥の巣連載修了後に埼玉へ引っ越したという説です 一方その説とともに「1974年埼玉移住説」も可能です
以下典拠
(1) 萩尾さんインタビュー
>――確か、『トーマの心臓』はちょうどこちらに引っ越した頃に描かれたとか
>萩尾 そうです。
出典『文藝別冊 総特集 萩尾望都』2010年、p.78
(2) 萩尾さん講義
>Q10.「ユニコーンの夢」はスクリーントーンを一切使っていないが、それはなぜか?
>A10. ちょうど引っ越したばかりで、たまたまスクリーントーンがなかったから。
出典:https://www.hagiomoto.net/news/2016/07/post-249.html
『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界〜女子美での講義より〜』2020年も同旨
(3) 木原さん年譜
1974年、木原さんは体調を崩し、医師に転地療養を勧められ、埼玉県に引っ越した。
萩尾さんは「遊びに来て」と誘われて訪ね、その地を気に入って近くに引っ越した。
出典:図書の家(制作)「年譜」in 木原敏江(箸)『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』河出書房新社、2017年、p.180
1974年前半の萩尾作品
・別コミ3月号 ハワードさんの新聞広告(3.1)イケダイクミさん原作
・別コミ4月号 精霊狩り3みんなでお茶を(4.1)メメが痛い、黙して語らず云々
・別コミ5月号 ユニコーンの夢(5.1)★この直前に引っ越したという(上記2参照)
・週コミ19号〜トーマ連載(5.5〜)★このころ引っ越したという(上記1参照)
・別コミ6月号 まんがABC(6.1)ポー単行本予告つき
※ この説については暫らく検討を保留します】

〇「この説については暫らく検討を保留します」→通常だとペンディングの意味だが
 たぶん響子は違う意味で使っていると思う
〇河出書房新社の書籍が複数根拠になっている→最新のものが正しいとするのが通常
〇そもそも何人にもきかれているが、なんでそんなにこどわるのかね