エロゲシナリオ執筆中。
ヒロインがメイド喫茶で働くの巻。
一応、ひねりが加えられているが、ちょっと今さらの感がないでもない。今のアニメ、普通に何のひねりもなく「メイド喫茶回」とかやってんのかなあ(知らん)。
で、とにかくこのメイド喫茶全盛期はやはりオタク文化全盛期だったんだよ。
例えばフェミとかがこれについて文句を言うのを、もちろん聞いたことがないわけではないが、普通に考えて血涙迸らせて糾弾するべきところが、そこまではいかなかった。
今なら絶対「ツイフェミ」(という名の事実上のフェミ)が騒いでキャンセルされてるぞ、これ。
ただ、何というか、やはり「二次元文化が三次元に取り込まれ、陽キャに簒奪される家庭」でもあったのだろうと思う、メイド喫茶は。
具体的にはメイドさんを根性の悪い女がやるとか。幸いにして、オタクは実際にはメイド喫茶にあまり行かなかったので、被害は少なかったが。
これと同じで、まあ、エロゲシナリオとかも結局、女性の作家様がご参入あそばされ、まあ、何か女性作家様のマスターベーションの場になる、みたいなことがないでもなかった。
考えると「ハーレム」構造を持ち、主人公の男の子がよりどりみどりの女の子を選ぶという超男女平等システムがエロゲの醍醐味。
これを「自分向け」にしてしまう女の欲望のすさまじさたるや。
で、件の中野ブロードウェイの騒ぎ、詳しく知らないんだけど(だから迂闊なことは言うまいと思っていたが、敢えて言えば)、同じことなのかもと思う。
恐らくサブカル君からすれば「中野はサブカルの街、サブカルと言えばエロ、エロと言えばレイプ、女どもは黙ってろ」となろう。
しかしおにゃのこのお歴々からすれば「中野は萌えの街、萌えと言えばファンシー、ファンシーと言えば非エロ、男は出ていけ」となろう。
既に恐らく世間では「萌え」と言った時、「女性様向けのBLみたいな何か」となっていようし、それは下品なエロとは親和性がなく、ファンシーなものは親和性がある。
だから、彼女らにしてみれば自分たちの感覚で正論を言っているだけ、なのだ。
これは例えばだけど「乙女ロードにホモが大挙して、あらゆるBL本を田亀源五郎的な絵に描き換えた」みたいな状況に近いかも知れない。
いかに理不尽だとこちらが言っても、先方にしてみれば「え? でもこういうことでしょ?」としか思えないのだ。