お受験知能だけはかつてあったとかいうヤカンにわかるかもしれない論法で
親切極まりないことに教えてやるからありがたく拝聴しろ

主張をそのまま書くのが論説文(ろんりてきな文章)
主張を感じ取ってもらえるように書くのが小説文(ものがたりてきな文章)

入試問題にはならないことだが、読解⇔記述と違い、物語の創作にはこの、
感じ取ってもらえるように創ることが読解と非対称であるという、
どうにもならない高い壁が存在する

子供だましは簡単どころか余計な見栄や教養働かないぶんだけ一層難しい
一定の感情を抱いてもらうような創作は子供向けこそ天才が求められる

しかし書くためには読める必要があるって大原則はどんな物語も論説と同じ
感じ取ってもらうためにはまず、感じ取ることが出来ねばならない

登場人物に起きた出来事をその人物のテンポに従って素直に受け取ってみることなしに
その感受性は生きてこず、感情基板が整わないから物語受容の土台が形成されない
土台も出来ていないところに物語り受容がなされることはない

それができなければ物語を受容することができないばかりか、
ただ物語り世界を感受する、というシンプルな動機以外の、
妬み嫉み見下し願望を土台にした感情基板で出来事を認識しようとすることになるため、
ヤカンは常に歪んだ邪な感受しか出来なくなるに至る

そのような者がいったい何をどのように感じ取ってもらえる創作物を創れようか?
そんな姿勢で他者の創作物を認識・価値判断している限り、
おまえに人間界の居場所はないのだよ