こういうのをまっとうな批評というのだ。
市井の人の感性とはこういうもの。

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山本寛の脚本「魔法少女たち(仮)」を読む。
ネットに掲示されたものをコピペしたもので序盤など欠けている部分もある。また、精読した訳ではない。

読んだ感想として、この人は変身ヒーロー/ヒロインもののセオリーを知らないのではという疑問である。「魔法少女たち」では超能力に覚醒したヒロインたちが顕名で活動する。アイドルものの様な展開である。そしてネットでアンチが発生する。まるで自身の体験と重ねたかの様だ。ここが他の作品と違う。

普通ならヒーロー/ヒロインたちは自らの正体を隠している。なぜ隠すのかと言うと、例えば家族や周辺の人間に危害が加えられない様にするといった理由が挙げられるだろうか。

このセオリーは作中で明示されないこともある。しかし大抵の場合、このセオリーに準拠した形で物語は展開する。

それ以前に「正体が知られたら居られなくなる」という掟は昔話の異類婚姻譚と重なる構造を持つ。なぜそうなっているのかは明確にされていないが、おそらくそのことについても無知だろう。

セオリーを外すなら外すで工夫を凝らさなければならない。ところが作品の序盤でいわゆるマスコットキャラが自らの目的を解説してしまう。これは他の作者なら隠して物語後半で明らかとしてヒロインたちをどん底に突き落とすだろう。

山本寛が自身の幼少期に見た作品に言及することは少ない。ジブリ作品やエヴァンゲリオンが語られるくらいである。受験で忙しかったのかもしれないが、ひょっとすると「まんが日本昔ばなし」ですら見ていないのではないか。

これは初稿とのことなので、いずれ第二稿が出てくるかもしれない。ネットでは有志たちによって改善案が提起されたとも聞く。

この脚本を元にしたPVがネットに流出したのを見たが、たとえば少女をレイプする影のピストン運動、これならエロゲの広告の方が遙かに出来がいい。

一事が万事この調子だから、この後も期待できそうにない。というより、アニメ的無能力者であることが知れてしまったから無駄な努力である。