竹宮さんの追悼文には心がこもっていたと力説するパトリシア響子一族

【竹宮さんも増山さんの訃報に接した時には、のたうち回るほど嘆き悲しんだと思いますよ
そうして要約立ち直った時にはブログで見苦しい様を見せてはいけないと、
あえて突き放したような、いつものケーコタン節で他人事のように客観的な文面になったのでしょう】

【竹宮さんにとって増山さんの死は自分の半身をもがれたようなものですから
その苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあったということは想像に難くありません
どうして察してあげられないんでしょうか
萩尾さんも悲しんでおられますよ>ここで中傷を繰り広げている萩尾ファンのみなさん】

〇ブログの追悼文は、客観的な文面ではないのでは?→その後、事実訂正も入れてるくらい
〇想像に難くない・萩尾さんも悲しんでおられる→客観的な事実は大切じゃないんですか?